代表取締役 湯川 剛

猪木が白金台に移ってから私達が心掛けた事は「猪木に生きるチカラ」を与える事を使命としていました。猪木からのメッセージの2番目の事がその役割を担うかもしれません。
「自分は今日まで多くの人に見られて生きてきた。最期は輝いて逝きたい」が猪木の希望でした。それがまた生きるチカラとなって、薬以上の作用が期待出来るのではないかと私達は思っていました。

この時の話は私自身立ち会っていませんが、髙橋社長が猪木宅を訪問した時の話です。
2人の話は大晦日の「イノキボンバイエ」の思い出話になりました。猪木も懐かしそうな感じだったのでしょう。髙橋社長が「猪木会長、今年は是非イノキボンバイエをしましょう」と「猪木に生きるチカラ」を投げかけました。その時、猪木もまた大きく頷いたと聞いています。年末まで数か月がある訳です。その間に体力がつけば会場に行くことも可能です。
多くの方もご存知のように大晦日の風物詩「総合格闘技大会」の開催は、「猪木抜き」にして語れません。「紅白をぶっ潰せ」と当時の総合格闘技が大晦日に国民的行事NHKの紅白歌合戦にぶつけ高視聴率を獲った事もあります。また2002年8月の総合格闘技の国立競技場会場に猪木がスカイダイビングで降りてくる等の話題を提供し、アントニオ猪木はプロレス界だけでなく総合格闘技界に多大なる貢献をしています。
実は私自身、あまり総合格闘技の事は知りませんが亡くなって改めて猪木の存在抜きに今の日本の総合格闘技の存在はないと認識しました。

更に高橋社長は「24時間テレビ」の出演企画を大手芸能事務所に提案しました。
「24時間テレビ」出演実現には芸能事務所K社のお陰です。K社とは生前猪木とも長い付き合いをしています。K社のS氏が「なぜ、猪木に24時間テレビを出演させたいのか」の考えを日本テレビの担当者にそのままをぶつけました。
「猪木に生きる希望を与える為に24時間テレビに出演させて貰えないか」のエピソードは後に日テレの社長のコメントがそのままネットニュースでも紹介されています。

NHKのテレビやネットニュース等で、やせ細った猪木をさらけ出している事は殆どの日本人なら驚きをもって知っていると思います。しかしそれは画面を通じての事です。
この「24時間テレビ」出演は実際に多くの人達に「その猪木」を見せる訳です。勿論猪木自身も積極的に承諾をしました。出演が決まってから以降、K社を中心に髙橋社長や宇田川氏が動き出したと聞いています。更に事前に日本テレビからの収録もありました。

いよいよ明日8月28日が出演の日です。
ところが、前日になって猪木は「会場に行かない」と言い出しました。それを聞き、協力者周辺は驚きと困惑であったと思います。私は同日の夕方にその報告を聞きました。
「24時間テレビ」出演の実現には多くの方々の協力があり、状況によっては迷惑を掛ける事になります。勿論、万が一のために収録もしていましたので「出演出来ない」シミュレーションもテレビ局は用意していたと思います。しかし可能であれば猪木を生出演し、全国の視聴者の皆さんに「猪木は頑張っている」姿を見て貰いたい気持ちもありましたし、猪木自身はそれを望んでいました。でも急な猪木の気持ちの変化です。

8月27日土曜日。髙橋社長が18時過ぎに電話がありました。「猪木会長が明日の24時間テレビに出ないとの事です」私はその時、三田でOSGの幹部らと夕食をしていました。私は「何よりも猪木さんの病状が第一で判断するしかないですね」という以外ありません。いずれにしろ、三重にいた髙橋社長は今から東京に行くとの事でした。
電話によると猪木はかなり精神的に不安定な状況との事です。この日は奥様の命日であったのも多少影響していたのかもしれません。その為に奥様の位牌と遺影を祀ってある部屋に介護チームの宮戸さんの知人でお祈りの出来る方も来て貰いました。
猪木本人はその事で少しは落ち着いたとの事です。また実弟の啓介さんからの報告では猪木に温熱治療を行なうために治療院に連れて行き、「少し体が落ち着いた感じだ」との報告で安心していました。

翌朝8時に、私は髙橋社長に電話をしました。
ところが朝の状況は昨日に続いてやはり猪木は「会場に行かない」との返事でした。髙橋社長や宇田川氏も大変困っている様子です。私は仕事の関係からその場に行けなかったのですが、手に取るように分かります。彼らに申し訳ない気持ちでしたが私は髙橋社長に励ます気持ちで「猪木さんと仕事をするとこのような事は起こり得る。過去にも十分にあった。その事を事前に承知した上のマネジメント会社を引き受けた訳です」と話しました。そして私を含めお互い「問題から逃げる事は出来ない。問題からは絶対に逃げない」と私の過去の経験を話し「ギリギリまで努力しましょう」と励ましも含めて話しました。
ところが1時間後に電話があり、一転して「猪木会長が行く事になりました。12時にマンションを出ます」との事でした。やれやれです。

ここから先は髙橋社長から聞いた話です。
リビングで髙橋社長と宇田川氏と猪木との3人で話をしたところ、先の報告通り「行かない」との事で、一旦車いすの猪木は寝室に戻りました。ところが10分程してから猪木は介護の方に押されながら車いすでリビングにやって来ました。猪木は「会場に行くよ」と言い、猪木自身が寝台タクシーを手配するようにスタッフの人に指示したとの事です。

白金台の自宅から寝台タクシーの行先は「24時間テレビ」会場の両国国技館です。髙橋社長・元マネージャーの宇田川氏・介護チームリーダー江端さん、宮戸さんも猪木について会場に行きました。両国国技館と言えば猪木が数々の闘いをした試合会場です。
今回は寝台タクシーでの来場です。猪木の気持ちは私には計り知れないものがありますが、どのような気持ちで入ったのでしょうか。
猪木は出演のために簡単なメイクをして「24時間テレビ」の会場に登場します。登場前の車いすに座っている猪木の写真を髙橋社長は送ってくれました。
車いすを押すのは「24時間テレビ」のメインパーソナリティを務める嵐の二宮和也さんで髙橋社長とも親交があります。
ここから先は私もテレビで見ていました。
14時13分。猪木が登場しました。私はその場面を確認してすぐに髙橋社長に「大変ご苦労様でした」と電話をして切りました。テレビを見ているとなぜか急に涙が出てきました。

黄色い「24時間テレビ」のTシャツを着た猪木が登場しました。たぶん左手を上げていたと思います。会場の多くの参加者の皆さんに向けて左手を上げての登場です。会場にいる参加者の皆さんから見ればテレビの画面やネットニュースで見るやせ細った猪木ではなく「生猪木」との対面です。猪木にしてもテレビカメラに向かって話すのではなく、多くの参加の皆さんに向かって出演している訳です。
過去にプロレス会場では何万人もの観客を熱狂させた男です。その猪木がどのような気持ちで車いす姿でこの舞台に立っているのでしょうか。
私は舞台の右から登場する車いすの猪木、黄色いシャツを着た猪木、左手を上げている猪木を見て急に涙が出てきました。部屋には私一人であったせいか、私は子供のように大声で泣いてしまいました。猪木の為にこんなに涙を流した事はありません。泣きながら、何故そのように泣いている自分がいるのか、もう一人の自分が不思議でなりませんでした。

司会の徳光さんのインタビューに一生懸命答えていました。画面の猪木は珍しく1本調子の話し方で子供のようです。そして「道」を朗読しました。途中で忘れないかと自分が「道」を朗読しているような気持ちでした。そして見事に披露しました。会場にいる多くの参加者の前での披露です。弱弱しい声でしたが一生懸命に朗読している姿は最高でした。
私は泣きながらテレビに向かって「よくやった」と拍手をしました。
凄い猪木です。偉い猪木です。かっこいい猪木でした。

猪木の登場シーンが終わりました。
14時23分に髙橋社長に「猪木は凄い」とメールをしました。
その後、私は髙橋社長に電話をしました。私は泣いています。髙橋社長も泣いていました。みんなが泣いていました。髙橋社長には昨日来から今朝までの苦労を知っているので、それで自分が泣けてきたと伝えました。しかしそれだけでの涙ではなかったと思います。

もしかすればあの時のみんなの涙は亡くなった今となってみれば「24時間テレビの出演」が「猪木の最期のテレビ生出演」であった事を「予期した涙」だったのかもしれません。
もしかして命の神様がいて『猪木さんをサポートしている皆さん。この「24時間テレビ」の出演が猪木さんの長い人生の中で生涯最後のテレビ出演ですよ』と教えられ、それが無意識に「予期した涙」となって私も髙橋社長もスタッフの皆さんも流した涙だったのかも知れません。

これから先「24時間テレビ」を目にする時、私は死ぬまで「猪木の最期の生テレビ出演」を思い出すでしょう。

次回は、12月5日掲載です。

【追記】
翌日の昼過ぎに、猪木から電話がありました。幾分心が弾んでいる声でした。
「元気ですか!」といういつものフレーズはありませんが、ご機嫌な猪木の声にはホッとします。私は昨日の猪木の出演の感想を言いました。勿論、泣いた事などは言いません。「めちゃめちゃよかったです」と伝え、本人もそんな気持ちでした。たぶん昨日のテレビ出演から多くの方々から電話が入ったのでしょう。そういえば、私自身「24時間テレビ」を見た後、忙しくて猪木に電話をしていませんでした。「あれ、湯川から電話がないな」と思って掛かってきたのでしょうか。とにかく猪木がご機嫌なら嬉しい限りです。

後日「24時間テレビ」は最近にない視聴率を記録した事を知りました。これを猪木に伝えていませんが、伝えれば「それは俺が出たからだ」と言います。それが猪木です。
私も「猪木さんが出たから24時間テレビの視聴率が上がった」と思っています。
それにしても出演前夜と当日の朝のあのドタバタは何だったのでしょう。もしかすれば猪木は最初から出る予定であったのかもしれません。いつもの仕掛けです。それなら嬉しいです。

それにしても大の男を泣かせた「お騒がせなアントニオ猪木さん」です。

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