代表取締役 湯川 剛

OSG本社の受付は2階にあります。
1階にエレベーターはありますが原則、玄関を入って正面の階段から2階へと進みます。
2階に上がると受付台があり、来客の皆さんは各事業部へこの受付台の電話で連絡します。
その受付台の上に壁掛時計が掛けられており、時計の下に「反省の時計」と記載されたプレートが貼られています。時々お客様は「何故、反省の時計と書いてあるのですか」と質問されます。これに対して正しく説明する人は殆どいません。

10月の役員会で「役員の時間」の重要性を伝え、改めて3年後の創立50周年に向けて稼働することになりました。「確認」という意味では、価値のある役員会でした。プロ野球の試合などで見るベンチ前の円陣を組み、試合の途中で「喝!」を入れるような感じです。
2020年の創立50周年まであと3年といっても実質的には2年しかないわけです。
大きな節目を迎える為にはやはり先頭を走る「役員」の率先垂範、後ろ姿が大きな影響をもたらします。その具体的な事が「役員の時間」であり「時間の量と質」にかかっています。
毎月第1金曜日は定例役員会です。本来なら文化の日の祝日なら前日か、翌週になるのですが、この日は祝日にも関わらず11月3日に役員会が開催されました。

11月3日(金)。役員会。
私は休日出勤に感謝と労をねぎらい、改めて「役員とは」について話しました。
この時「馬鹿な大将、敵より怖い!」の言葉とその意味を伝えました。
ビジネスをする上にマーケティングや販売促進や新製品開発等、やらなければならない課題は山ほどありますが、何よりもそれらを考えたり判断する我々トップリーダーの優劣こそが方向性を決める訳です。私は常にそのことを戒め、経営して来たことを次のリーダー達にも引き継いでほしいと思っています。たとえIT・AI時代で社会の仕組みが変わろうとも、そこには必ずリーダーがいて、リーダーの判断によって組織は変わっていく訳です。
「馬鹿な大将、敵より怖い!」はいつの時代においても不変な経営者の心得と思っています。
私は11月の役員会で「上期における決算短信」を改めて読みました。
「第3四半期から2020年8月の創立50周年に向けた36カ月に渡る大規模販売促進企画『プレミアム50』を計画しており、その効果が発揮されるものと考えられる。そしてその36カ月の3カ月が過ぎた」等が当時の発言として記録されています。
いずれにしろ、大規模販売促進企画『プレミアム50』が当時の大きな重点項目でした。

11月30日。私は品川11:57で新大阪14:23着。
大阪本社に15時過ぎに到着しました。本社2階のエレベーターの横にコミュニケーションスペースという大きなエリアがあります。そこにはOSG製品が展示されてあり、お客様らと面談したりするエリアです。エリアの中には面談室が3部屋あります。私はいつも2階からエレベーターに乗って私の部屋に直行します。私は殆どコミュニケーションスペースには入りません。その時もコミュニケーションスペースに来客はありませんでした。
にも関わらず、私は何気なくコミュニケーションスペースに入りました。すると3つの面談室の真ん中の部屋で笑い声がしました。
私は、誰か面談室でお客様と面談中で、その笑い声かなと思いました。お客様との面談に私が約束もなく入室する訳にはいきません。今から考えれば、何故ドアを開けたのかはわかりませんが、私は笑い声がする部屋のドアを開けました。すると中にいた数名は私の顔を見るなり、笑っている途中の顔なのか、口をあんぐりと開けたままこちらを見ました。
部屋の中は来客ではなく、営業担当役員ら、営業幹部・上席管理職の面々でした。

私のこの日のスケジュール表には「17時 プレミアム50MTG」と入っていました。
私は改めて時間を確認すると時計は15時10分過ぎを指していました。
「君ら、11月30日の月末締切の15時過ぎに何をしているのか。プレミアム50のミーティングは17時からではないのか。」この日の出来事は、これで終わりました。

12月1日(金)。役員会。
「今年最後の役員会です。この12か月間、時には理解して貰うために厳しい言葉も言ったが、心の中ではいつも感謝しています」
私は12月の役員会では1年間の労をねぎらうと同時に役員会での厳しい言葉を年の最後の役員会でお詫びの言葉を入れます。この2017年の12月の役員会もそのようなスピーチから始まりました。しかし、この12月役員会では次のような言葉を述べました。
「・・・いつも感謝しています。しかしながら、昨日の役員の行動は頂けない」
私は昨昼、2階面談室にいた役員らを改めて注意しました。
何の為の10月の役員会であったのか。悲しくなりました。
そして「言葉の限界」を感じました。話すだけで分かって貰える訳ではないのです。

私は12月3日、当時の溝端社長とミーティングをしました。勿論、溝端社長は11月30日夕刻のメンバーではありません。そこで私は溝端社長にひとつの提案をしました。
「役員に言っても分かって貰えないなら、何かペナルティのようなものを科して目に見える物などで今回の問題を記憶に残したい」と伝えました。これには社長も同意しました。

私が30代前半の社長時代にある管理職に厳しく注意をしました。そして「分かったか」というとその管理職も「よく分かりました」というので改めて「本当に分かったのか」と確認しました。その管理職も「よく理解をしました」と言ったので、私はその管理職に「それなら1000円頂こうか」というと管理職は「?」。そこで私は「私はこれを理解するのに長い時間と多くの月謝も払った。にも関わらず課長は僅かな時間で理解した。だから1000円位は貰ってもいいと思う」こんなマネジメントをしていました。その管理職は後に幹部になったのですが、後年になっても「1000円を支払った」事でその時の注意は一生忘れないと言っていました。

11月30日の対象者は5名です。ペナルティの金額は役職者によって異なりました。
ここでその金額は控えますが、相当な金額になりました。
私は溝端社長に、その金額を歳末助け合い募金に寄付するか、OSGの合宿等で使うかを役員会で決めるように指示をしました。結果は社内行事に使う事が報告されました。

10月役員会から約1年後の18年9月2日。
他の管理職ら約30名以上が集まって帝国ホテルで「反省の時計贈呈式」を盛大に行なう事になりました。その費用はペナルティで科した金額で行ないました。
といってもその金額では帝国ホテルでは開催出来ず、結局、その差額は私個人が負担し、私自身にも「ペナルティ」を科しました。

冒頭に「反省の時計」を設置した理由を正しく説明する人は殆どいません、と書きましたが殆どの役員は11月30日の出来事を説明します。私から言えば、それは片手落ちです。
本来は10月の役員会からこのストーリーは始まっていたのです。

次回は2月1日に掲載します。

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