代表取締役 湯川 剛

2017年後半に私自身の持病が再発していました。
以前にもお伝えしましたように私は難病指定の「後縦靭帯骨化症」という厄介な病気を首に持っていました。痛みが激しいとかしびれが来るという事がない為、主治医が「手術はいつでもできる。ただ高齢にて生活に差し支えなければ手術は控える事も出来る」という事で、手術はしていませんでした。通常右手が自由に動けないままでしたが、この17年9月に突然痛みが再発して足まで動かせられない状態が私の気持ちに影響したのかもしれません。
いずれにしろ2017年は創立50周年を3年後に控え、業績が足踏み状態にていたことが私にとって悩ましい問題でした。特に私が中心となって進めていた中国事業をはじめ海外の案件等もいつかは私の手から離れなければなりません。この「海外事業」を引き継ぐ等、極めて「未来のOSG」に向けてのターニングポイントが2017年でした。
一口に言えばOSGグループの全ての事業から私が一切手を引く準備を「創立50周年」という大きな節目辺りで考えていました。しかも持病の再発です。

60歳でOSG本体の経営をバトンタッチした事は既にこの「人プラ」で掲載しています。
また当時の新社長と会長との仕事の役割担当は明確になっていました。
私の役割は「OSGの未来ビジネス」が担当でした。その一つが新事業の進出であり、もう一つが海外ビジネスである事も既にこの「人プラ」で掲載しています。
社長と会長と事業分担して10年が経ち、いよいよ全てを引き継ぐ為の準備である訳です。
あと3年の中で「海外市場」をもう少し充実してバトンタッチをしておきたいと思い、「インド市場」に関心を持っていたのもこの時期でした。

OSGの次なる海外市場はASEAN市場でありインド市場に目を向けていました。

この「インド市場」については前段として「中国市場」が影響しています。
以前も掲載したかもしれませんが、OSGが2003年に中国に進出した時、私は「OSGは中国進出に10年遅れた」と強く認識した事があります。
しかし時計の針を戻すわけにもいかず、その反省の下に次の市場にASEAN市場と同時に「インド市場」を狙いたいと思っていました。
それが2016年10月にインドに行き、11月に「20日間長期出張」(第490回:20日間のアセアン出張)が第一歩の始まりでした。それから1年が経ちました。
近い将来間違いなく世界一の人口数は中国を抜いてインドになることは明白です。
とはいえOSGのような中小企業が簡単にインドに進出する事は容易ではありません。
唯一の道筋は私が所属している公益社団法人アジア協会アジア友の会(JAFS)です。
JAFSを通じてOSGも過去にインドに井戸を贈呈しました。その関係からネットワークが全くない訳ではありません。
そのネットワークを使い10月17日、インドに現地事務所をに設立する事になりました。
またOSGは日本語の出来るインド人を採用しました。短期勝負ではなく、長期戦でインド市場を構築する事にしました。海外法人は中国に次いでインドで2社目です。

日本機能水学会が11月18日・19日に開催する事になり、その前日にOSG川越工場内にて吉川日本機能水学会会長を招いての「OSGウォーターサミット」を開催しました。
中国はじめ海外のお客様もゲストに迎えました。ノーベル賞受賞の山中伸弥先生の先輩であり、東京大学先端科学技術研究センター教授や京都府立医科大学学長の経歴を持ち、一時、ノーベル賞候補にも噂された吉川先生を講師にお招きしました。
吉川先生はこの日「水の不思議さや腸内細胞、更にアルカリイオン水と水素水の違い」等、興味深い話をして頂きました。
この「OSGウォーターサミット」開催企画は3年後の東京オリンピックイヤーである2020年「OSG創立50周年」の事前企画でもありました。

こうして2017年も終わろうとしています。
毎年の事ですがいろいろありました。特に17年は3年後に来る創立50周年という大きな節目を迎える重要な年度であったと思います。また私の年齢を考慮しなければならない年でもありました。従来のOSGの事業から一切手を引く準備をしなければならない期間でもありました。
また2017年はアントニオ猪木さんとの事で個人的にもいろいろありました。
私が30代半ば、猪木が30代後半で出会った二人の関係がいわゆる「猪木の取り巻き連中」によって仲違いさせられた年度でもありました。
そういう意味では17年の非常に思い出深い年でもありました。

次回、2月10日に掲載します。

【追記】
2017年10月21日、当時74歳の猪木と前マネジメント会社が「アントニオ猪木『生前葬』」と銘打ったイベントを両国国技館にて開催しました。
当時は私と猪木は係争中にて離れていました。この「生前葬」を聞いた時、周辺の者に「やるべき時期ではない」と伝えました。実は猪木の生前葬は、その数年前にプロデューサーY氏より提案がありました。結局、その時はやらなかった訳ですが、私は反対はしませんでした。理由は、その時の猪木の「勢い」です。
私は「勢いのない時や運気を感じない時等に生前葬等、やるものではない」と周辺にも伝え、その当時、大変心配していました。もし私がその当時、直接連絡が取れるなら強く反対したでしょう。しかし当時の取り巻き連中が私との連絡を阻止していました。
それから以降はご存知のように、猪木の周辺に不遇な出来事が次々と起こった訳です。
私はこの17年の10月の生前葬は心の中にずっと引っかかっていました。

2017年11月18日・19日に「第16回 日本機能水学会」が鶴見大学記念館(横浜市鶴見区)にて開催されましたが、その学会参加の空き時間に私は学会会場であった鶴見大学近くの石原裕次郎の墓がある事でも有名な曹洞宗大本山総持寺の境内を散策しました。
墓地を歩くと僧侶がいたので石原裕次郎の墓を訪ねると、かなり遠いとの事で引き返しました。その途中に「猪木家」のお墓の前を通ったのはその時は知る由もありませんでした。
それからちょうど5年が過ぎました。
2022年11月24日に猪木の四十九日が、曹洞宗大本山総持寺で営まれました。
そこで「猪木家」のお墓を知った訳です。不思議な事です。

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