代表取締役 湯川 剛

「食」分野への初進出に向け、2018年1月中旬より始動。
そんな慌ただしく動き始めた1か月後の2月16日夜。1本の電話が入りました。
OSG創業以来、私と共に事業を支えてくれた相棒、河原一郎が路上で倒れたという連絡でした。この話は既に「人生はプラス思考で歩きましょう!」の第353回に掲載しています。

失意の中で過ごした2月。
「銀座仁志川」に対し、私は一時、思考停止の状態に陥りました。
私と共に歩んできた河原一郎はOSGの全てを知っていましたが、始動間もない「銀座仁志川」に対しては、「社名を知るのみ」で終わりました。
私は今までいろんな事業に携わる中、うまく事が進まない時などに彼と話をする形で憂さ晴らしをする、いわゆる「ガス抜き」の相手をしてくれました。
そんな「ひととき」が、どれ程私にとって「救い」であったか。
「銀座仁志川」では、それが出来ない。
開業前に直面した最初の試練だったかもしれません。
彼は私に対して全てが肯定的でした。長年一緒に仕事をしてきましたが、私本人が恐縮する程に彼は「尊敬している」と幾度も私の背中を押してくれました。私が成す事の善悪に関係なく、私の公私の全てに対し「私の味方」でいてくれました。その「相棒」を失った中で、新たな挑戦が始まった訳です。
2月後半。「銀座仁志川」の仕事は全く動きませんでした。

3月1日11時。「銀座仁志川」再稼働。
髙橋社長の他、銀座ビル1階改装を依頼した工務店社長とその社長が連れてきたコンサルタントのM氏が参加しての会議が行なわれました。
この会議では、
① 「銀座」の名前を生かす
② 5年先行している「根上」との差別化を図る
③ 髙橋社長が店舗イメージに「暖簾」に強いこだわりを示す
④ 「銀座仁志川」のイメージは「和」ではなく「和モダン」で行なう
等の話し合いを行ないました。
更に場所柄、銀座のクラブや金融機関への贈答、時には配達も可能にする等、協議しました。
単なる「店売り」でなく「ギフト市場」にも浸透させる「外商」的な市場戦略も、この時に決まりました。
ただ、同席したコンサルタントM氏から「東京人は〝食パン〟を食べない。本当に〝食パン〟でいいのか」という発言が終始あり、私はM氏に「その発言は、どこのマーケティングリサーチから来るものなのか」と詰め寄りました。
とはいえ、私も「食」分野は未経験です。それ故、M氏の「東京人は〝食パン〟を食べない」という発言が気がかりでした。
M氏はその後、銀座仁志川の会議に参加する事はありませんでした。

【追記】
河原一郎の告別式の時に彼の遺影に向かって「銀座仁志川は必ず成功させる」と誓いました。
今も私の部屋に飾ってある彼の遺影に向かって話しかける時があります。
生きていたなら、こんな言葉で私を慰めるだろうなと自問自答しています。
銀座仁志川の存在を知らないままに天国に行った河原一郎に報告する為にも、何としてでも「銀座仁志川」は成功させなければなりません。

次回、5月1日に掲載します。

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