代表取締役 湯川 剛

前回の掲載通り、「5人5坪」でスタートしたOSGの創業メンバーであり、長年私の相棒として仕事をしていた河原一郎の突然の死去に対し、さすがの私も1週間程はリアルな仕事には手つかずでした。独身の彼に対し、遺族のような立場で初七日や納骨等に時間を費やしていた事も要因の一つだったと思います。
月が変わった事で気分を切り替え、2018年3月、「銀座仁志川設立」に向かって再稼働しました。当然の事ながら「銀座仁志川」ビジネスだけに取り掛かっている訳ではありません。2年後の2020年は東京オリンピックイヤーに加えて、OSG創立50周年が控えている訳です。17年頃から私自身、フェードアウトの方向で「引継ぎ」を行なっていました。
主に私はグローバル戦略での海外展開を担当していた為、従来の中国市場に加え、今後のインドを含めたアセアンの動きも踏まえて、時間を費やしていました。
合わせてこの時期は17年春に起こった猪木との訴訟問題が大詰めを迎えていました。
訴訟問題は5件あり、1件は相手側から「和解」の申し入れがあり、1件は私の「勝訴」、そしてこちら側が原告で猪木が被告の訴訟問題が3件残っていました。

さて本日は、2008年の北京オリンピック終了後に猪木が「中国でプロレスを広めたいので協力してほしい」と言われた事によって、間接的に発生した事をお話しします。
この「中国でプロレスを広めたい」という経緯は既に「人プラ」で掲載していますが、猪木本人が希望した「中国でプロレス」構想が彼の得意技(?)である「梯子外し」や「ちゃぶ台返し」の結果、とん挫。それに伴って残された関係者に対する責任もあり、私が引継ぐ形で行っていました。

猪木の「中国でプロレス」構想によって誕生したプロレスラーを夢見る中国の若者達を放置する訳にいかず、中国で彼らを中心としたプロレス団体「東方英雄伝」を設立しました。
元レスラーでIGFのリングにも上がったコズロフ選手が、当時中国で人気を博した映画に俳優として出演。このあたりの話は「第515回:まずは動く事で壁をぶち破れ。東方英雄伝誕生」「第516回:中国大ヒット映画「戦狼」と東方英雄伝」で掲載済です。
中国共産党人民解放軍の世界戦略名「戦狼」は2017年に中国映画市場最大のヒットした作品名「戦狼(ウルフ オブ ウォー)」に由来していると聞いています。それ程、この「戦狼」は国策映画のようであり、中国とアジアの歴代興行収入1位を更新し、観客動員数は1.6億人を突破。世界歴代54位となる約1000億円の興行収入を記録した映画です。

この映画「戦狼」の監督兼主役の呉 京(ウー・ジン/Wu Jing)は一躍、中国で国民的英雄となりました。
私は、東方英雄伝設立の関係から、間接的にこの呉京の存在をコズロフから知った訳です。欧愛水基の代理店社長の殆どが映画を観ているので「熊」役のコズロフも知っていた訳です。
そんな関係から、色々な中国の知人に「話題の人物、呉京に出来れば会いたい」と言っていました。そんな時、ある情報で、彼はお忍びで日本の病院で治療を受けているとの事です。
そうなると全く不可能な事ではないという私の相変わらずの身勝手な考えから「出来れば会いたい」から「会えるじゃないか」となり、どの病院に行っているのかという興味まで持ちました。ある情報では神戸の病院との話もありましたが、彼に対する情報のガードは固く、いつも曖昧な話でした。当然、私から「呉京情報」を聞かれた本人達も実は知らなかったのかもしれませんが、中国人特有の「何でも知っている」であったのかもしれません。

そんなある日「3月21日はどこにいますか」と中国の友人から私に連絡がありました。
東京から大阪に戻る日だと伝えると、彼は「それはグッドタイミングです。実はオフレコですが、21日に呉京監督が大阪に入ります。」との事です。私は驚きました。
「話題の呉京監督に会ってみたい!」という私の言葉を中国の友人は覚えていたようです。

私は早速、隠れ家的な日本料理のお店を経営している友人に予約を入れました。
店のオーナーは、呉京監督の事を知りません。ところがそのお店には中国人スタッフがいて、「凄いVIPだ!」と告げられたのか、店舗まるごとを貸し切りにしてくれました。

3月21日18時。約束の時間通りに呉監督は4人のお供を連れてやってきました。
呉監督は、映画で見るより少し小柄に見え、部屋に案内されても、野球帽をかぶったままで電話に対応し通し。中国語で何を言っているのか分からないまま10分程、待たされました。
人気スターともなれば、こんなものなのかもしれません。私が、不思議と終始冷静だったのは日本人たからでしょうか。それが相手にとってもよかったのだと思います。
私が「普通の接し方」をするので、呉監督も気兼ねなく、互いにお酒を酌み交わしました。
私はこの日、この数年間で一番飲んだと思います。呉監督は酒が強く、平然としていました。飲みながらいつしか「人生」について話し合っていました。彼は40歳までは監督としてもスターとしても鳴かず飛ばずで貧しい生活をしていたとの事です。今の境遇に本人が驚いていました。特に私が話した「人生4つの運」に興味を示し、メモしていた程です。
彼は日本酒が大好きで、日本酒での乾杯しました。私はベロベロに酔いました。僅か3時間で意気投合。通訳の方はさぞ大変だったと思います。酒を飲む。話をする。笑う。酒を飲む。話をする。笑う。その繰り返しです。お互い通訳が入っている事など、気にしないで話していました。
写真も多く撮りました。中国では大スターで有名な監督は日本人と構える事無く飲んだのでしょう。旧知の間柄のようにお互い肩を組み、真っ赤な顔で盃を挙げての写真もありました。
帰りの時間が来たので、お互い酔ったまま「また会いましょう」と言って別れました。

それから数日が経ちました。
中国欧愛水基の幹部から「大変な事が中国で起こってる!」と連絡がありました。
当時、中国では尖閣諸島問題で反日運動の空気が支配していました。
そんな状況下、愛国スターで愛国主義映画「戦狼」の監督が日本人と肩を組んでお酒を飲んでいる画像が、SNSで中国全土に流れました。
「呉京監督が日本の男とお酒を飲んでいる。よく見ると欧愛水基の湯川ではないか。どうなっているのか」とOSG中国法人「欧愛水基」に、中国各地の販売代理店から問い合わせが殺到しているとの事です。欧愛水基の社員さん達も驚いていました。
「湯川会長はなぜ、呉京を知っているのだ」
「あの呉京と湯川会長は、なぜ日本で酒を飲める間柄なのか」等、代理店からの問い合わせです。代理店では善意的で興味のある問い合わせでしたが、他方SNSでは「けしからん!」とネガティブな書き込みで溢れていると報告を受けました。私は一時的ですが中国では「悪役」になりました。
「日本の湯川剛とはこんな人物だ」と、ついに私自身の事も書かれていました。
「中国でアルカリイオン整水器の製造・販売をしている」という記事もありましたが、中には「中国にプロレスを広めた男」と紹介しているものもあり「中国プロレスの父」とも書かれていたらしいです。それを知った私は「いや、私は中国プロレスの父ではない。それは大きな間違いだ。中国プロレスの父はアントニオ猪木だ」と販売代理店社長に伝えました。

さて、映画「戦狼」の話に戻しましょう。
呉京監督から直接、もしかすれば「戦狼」の続編があるかもしれないと聞きましたが、残念ながら今も続編が上映された話は聞いた事がありません。
まさかそのような事はないと思いますが、あの反日ムードの中、愛国スター兼愛国主義の呉京監督と日本人の私とが肩を組んで顔を真っ赤にしながらお酒を飲んでいる写真がSNSで流れた事がその原因であるとしたら、本当に申し訳ない事をしたと思っています。
尚、写真を流出させた犯人は見つかっていません。というより犯人捜しはしていません。

「まさか、あのお店の中国人スタッフ?」

次回、5月10日に掲載します。

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