前回も掲載しましたが2018年の私は「銀座仁志川」ビジネスの立ち上げだけに取り掛かっていた訳ではありません。2年後、2020年の東京オリンピックイヤーにOSGは創立50周年を迎えます。
創立50周年記念事業として自費投資した映画製作「セカイイチオイシイ水~マロンパティの涙」(略「セカミズ」)が3月1日より撮影に入っていました。映画関係者からは撮影現場に立ち会うように言われていました。私自身映画制作には興味があり、若い時から社員さん達に「私は必ず映画を作る」と言っていましたし、是非とも立ち会いたいと思っていました。
しかしながらスケジュールがいつもいっぱいで、その機会はなかなかありませんでした。
何とか撮影現場に立ち会えないか。かなりキツいスケジュールでしたが、年初より4月12日から24日までは海外出張予定でしたので、半ば強引に組み入れる事にしました。
4月12日羽田9時15分発シンガポール経由でインドのバンガロールに深夜到着。
今回のインド訪問の目的は、OSGインド事務所設立の為の出張でした。数年後には間違いなく中国よりも人口爆発するインド市場に対し、創立50年以降のグローバル戦略の足掛かりをつけておきたいと考えていました。バンガロールを真夜中に出国し、翌17日の15時に一旦、日本に帰国。
映画「セカミズ」のフィリピンでの撮影現場はローカルの為、韓国仁川空港経由便でないと移動出来ませんでした。インド出張だけでも相当ハードなスケジュールでしたが、帰国から1日空けた19日、私は羽田9時発の金浦空港行きに搭乗し、金浦空港内で韓国代理店と面談。その後、仁川空港発フィリピン・ルソンアイランドクラーク空港へ出発。真夜中の0時50分に到着。ホテルチェックインは深夜2時30分でした。夜が明けて、撮影現場に行くと主役の赤井英和さんらが撮影スタッフらに囲まれて、あるシーンを撮影していました。
私は出演者の方々の邪魔にならないように、撮影風景を見ていました。
翌日「セカミズ」の出演者の一人でボクシングの亀田大毅選手と撮影の合間に話をする機会がありました。彼は当時フィリピンに住んでいました。
映画「セカミズ」のお陰でいろいろな方とお会いする機会に恵まれました。
ロケ地からマニラ市内に移動し、私が所属しているボランティア団体アジア協会アジア友の会(JAFS)のフィリピン支局の皆さんと面談。フィリピン大学教授であるアマンテ氏らも駆けつけてくれました。
この映画「セカイイチオイシイ水~マロンパティの涙」は、原作「マロンパティの精水 いのちの水の物語」(著:小嶋忠良/PHP研究所)の実話をベースに私が原案。映画「セカイイチオイシイ水~マロンパティの涙」として撮影されました。
既に「人プラ」では映画化までの事を「第366回:マロンパティの精水」「第367回:映画を作ろう!」で掲載されていますが、感無量です。私事ですが、この映画制作費用を貯める為に私自身の生活はかなり「質素生活」になりました。殆ど洋服等、私個人の身の回りのものにはお金を掛けません。そのおかげ様で高血圧や糖尿病等の生活習慣病等もなく、今日まで元気で過ごせているのかもしれません。(毎年のお年玉費用や寄付金等のライフスタイルはそのまま行っています)
アマンテ教授をはじめ、JAFSのフィリピンスタッフの人達は映画が出来る事を大変喜んでくれました。ロケ地ではディレクターから「湯川会長も映画に出ませんか」とのお誘いもありましたが、断りました。こうして「映画を作りたい」という長年の夢であった撮影現場に立ち会えた事は、生涯忘れないと思います。
この後、試写会で「セカイイチオイシイ水~マロンパティの涙」を観るのですが、そこである「問題」が発生するのは、撮影に立ち会った時は知る由もありません。
次回、5月20日に掲載します。
【追記】
2018年2月から4月にかけて「銀座仁志川」食パンの試作は日々繰り返し行われていました。
私が「銀座仁志川」食パンを作るにあたって提示した「仕込水は〝アルカリイオン水〟を使用する」という「条件」によって現場は大変苦労していました。私はパン作りは分りませんが、長年「アルカリイオン水」を扱っていた関係で多くの有名料理店や一流レストランのオーナーの皆さんから「アルカリイオン水は、素材の持ち味を引き出すチカラがある」との声を数多く聞いていました。
とはいえ、それが「食パンに生きてくるのか」までは、当時強い確信はありませんでした。
私達が考える「銀座仁志川」食パンは、そんな簡単なものではないと思いつつ、試行錯誤の連続でした。
その結果、当初5月13日オープン予定としていた計画は、大いに狂いました。
次回は「銀座仁志川」食パン誕生の「現場の声」を届けたいと思います。
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