代表取締役 湯川 剛

前回、前々回は2023年当時の事を掲載しました。
今回からは従来の「人プラ」に戻して、2018年当時の事を掲載します。
「銀座仁志川 誕生前夜」の話です。

「銀座仁志川」ビジネスを考えた時に、私の頭の隅に1つの疑問がありました。
それは私に「銀座仁志川食パンを作ろう」というきっかけを与えた食パン専門店「根上」の2人経営者の1人、森上氏の存在です。広告制作会社の社長であった彼が何故「食パン事業」に携わるに至ったのかという疑問でした。
一般的にスーパーやコンビニで袋詰めで販売されている食パンの価格と比較して、食パン専門店の食パンは少し高めの価格で販売されています。
当然の事ながら、食パン専門店の食パンは使われている原材料等についても一般的な袋詰め食パンより高価なものを使用している為、それらの価格は販売価格に反映されます。
原材料の価格以外にも「食パン専門店」としての「付加価値」が必要になってきます。
その「付加価値」に相当する部分を担当しているのが「森上氏の存在ではないのか」と考えました。勿論、」これは私の勝手な判断です。
この判断は「根上」に確認した訳ではないので、間違っているかもわかりません。
しかし「銀座仁志川」では「〝食パン専門店〟としての付加価値が必要だ」と思いました。
単に食パンを生産・販売するのではなく、「お客様が〝食パン専門店〟で購入する為の存在価値のようなものが必要ではないか」と思った瞬間、私は「ある人物」が思い浮かびました。
森上氏の存在がそうであるかの真意は確認のしようもありませんが、その時私は「銀座仁志川 食パン誕生」には、もう1つの戦力が必要だと思ったのです。
考えればすぐに行動するのが私の性分です。すぐさま、私はある人物に電話をしました。

2018年のゴールデンウィークは、3日・4日・5日・6日の4連休でした。
5月4日16時30分。
私は品川駅のスターバックスで、株式会社ネクスト・ワンの宮崎社長と会いました。
彼は京都大学卒業後、リクルートに入社。OSGの担当者だった彼とは30年以上の付き合いです。新入社員時代の宮崎社長と出会ったのは、私が30代後半の血気盛んな頃でした。
当時、低周波治療器リズムタッチのCMにアントニオ猪木さんを起用していた時期で、私自身ギラギラしていたと思いますが、それに怯む事のなく自分の意見をはっきりというリクルート時代の宮崎新入社員でした。
その後、彼はリクルートを卒業し、自ら広告制作会社「ネクスト・ワン」を起業しました。
リクルート退職後も彼との付き合いは続き、渋谷にあるネクスト・ワンに何度も顔を出していました。彼の結婚式にも呼ばれ、お互い忙しい中、時間が合えば年に1~2回は会っていました。

彼と会えば、会話が進む理由は、若い時に出会った彼の感性が50代の今も色褪せる事無くあるからです。
ここでネクスト・ワンの事業を少し説明しますと、マーケティングに関するコンサルティングや広告の企画・制作などを手掛けています。
彼の話によるとトヨタ自動車株式会社G-BOOKプロジェクトに参加し、相変わらず活躍しています。
2018年当時、彼は渋谷を拠点にしながらミャンマーにレストラン等も経営をしていました。彼とは15歳離れていますが、生涯付き合える友達の一人です。

毎年1月に渡す筈のお年玉を、彼のスケジュールがミャンマー往来で日本不在が多い為に「取っておいて下さい」と言われ、4か月後のこの日に渡す事になっていました。
しかし私はこの日、単に彼にお年玉を渡すだけで会った訳ではありません。

スタバでコーヒーをすすりながら「実は食パン事業をやろうとしている」と説明しました。彼も意外に思ったのか「食パン?」と興味を持ってくれました。
この日17時57分の新幹線で帰阪しなければならない為、次回の再会を約束しました。
私は彼からミャンマー土産のウィスキーを貰って、慌てて新幹線に乗りました。
新幹線車中では、新しい事業になる「銀座仁志川食パン事業」に宮崎社長の感性を取り入れたらどうなるのかなと、「宮崎感性」に一人思いを巡らしていました。

次回、7月1日に掲載します。

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