代表取締役 湯川 剛

創立50周年は社史にとっても大きな節目です。既に8月29日の創立日に都内のホテルに予約を入れています。オリンピックイヤーと重なるため、当然「オリンピック招待客」等も準備していました。同時に、大きな販売促進も企画していました。直接、お取引様に訪問する事はこの数年間、私自身行っていません。理由は、OSG本体の事業には原則「ノータッチ」を決めていました。いわゆる「モンロー主義」的に会長と社長双方の役割を明確にし、それぞれの役割に立ち入らない事を当初より決めていました。その目的は、会長と社長の職務分離をする為です。簡単に言えば、私が「未来ビジネス」を担当し、社長が「OSG本体」を担当する事です。そのような意味においても、溝端社長はよく頑張ってくれました。創業者の後であり、しかも個性が強い私の後を中々できるものではありません。今回、13年ぶりにOSG本丸で空席であった「営業本部長」に就任する事によって、OSG本体にも1年間だけ立ち入る事になります。

私は会長兼営業本部長の立場で、100社のお取引先様回りをする事になりました。
名刺に「会長兼営業本部長」とあれば、それが面談冒頭の話題になります。そのような狙いもありました。
もう一つの狙いは、ある事業部が一向に改善しない事が気になっていたからです。
現場に入り、何が問題かを見てみたい気持ちにかられました。この事業部は「OSGの原点」であり、私が創業時から作り上げた事業部です。いずれにしろ、この2つが営業本部長就任の目的です。
会長の立場ではできないのか、の質問には「できない」が私の答えでした。

2020年2月1日。
毎年恒例の冬の合宿が始まります。今年は会長兼営業本部長の立場で参加する事になりました。実質的には、初日の1日目は会長のみの肩書での参加です。よって、スピーチも会長の立場で話す事となりました。その時のスピーチを簡単にまとめてみます。
『50周年を前に、OSGは「成長しない会社」になってしまってはいけない。従来の躍動感あるOSGは今も必要である。「50年の壁」にぶち当たってはいけない』
こんなスピーチをしたのは、50年経っても常に何かに挑戦している会社であるべきだ、と言いたかったのです。逆に言えば、それが少し薄れてきた危機感があったのでしょう。2年前にスタートした初の「食」分野への挑戦もOSG本体が主としてできた事業部ではなく、その事も問題意識を高めたのかもしれません。

合宿2日目に、私は営業本部長に就任した事を発表しました。令和2年2月2日です。この時、既に新型コロナの話題がちらほらと出ていました。
私は営業本部長就任として、合宿2日目に営業本部長挨拶を行いました。
「日本全体が『東京オリンピック開催』の華やかな記念すべき年に、OSGは50周年に向けて数年前より準備をしていた。しかし、新型コロナの出現で手荒な歓迎を50周年記念に受けようとしている。それならそれで、やってやろうじゃないか」
これが、営業本部長としての最初のスピーチでした。
次に「営業本部長方針10か条」が発表されました。と言っても、この時は3か条だけを発表しました。総論的には「OSG軍団」と周りから言わせようではないか、というものでした。こうして、大きな節目である記念すべき創立50周年の現場指揮を営業本部長の立場で行う事になりました。しかしまさか、ちらほらであったコロナの情報が世界中を震撼させ、大きな打撃を与えるとはこの時ゆめゆめ思っていませんでした。同時に、この状況の中で自分が営業本部長に就任できたタイミングに感謝するしかありません。

次回、8月10日に掲載します。

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