代表取締役 湯川 剛

2月5日。私は午前中の新幹線で福岡に入りました。
2月16日に福岡初の「銀座に志かわ」福岡薬院店がオープンします。そのオープンイベントとして11日前の5日に福岡へ入り、14時からのメディア発表会や身内内覧会に参加する為です。本来、営業本部長に就任をしていなければ、発表会や内覧会後には福岡を離れます。昨年まではそのような行動をとっていました。むしろ、営業本部長就任前の私はOSGの関係施設の近くを訪問しても、あえて顔を出さないように心掛けていました。

夕方に、OSG福岡支店でミーティングをしました。営業本部長就任後、初の支店訪問が福岡支店でした。この支店は、毎年「最優秀支店」を受賞するほどチームワークも良い支店でしたが、数日前の合宿2日目の打ち上げ会で恒例の優秀拠点・支店・事業部等の表彰式で受賞を逃しました。そこで私は、「来年は最優秀支店の受賞を奪回しなさい」と激励しましたが、これも営業本部長に就任していなければしていません。

このように、私のスケジュールに従来の業務にプラス「営業本部長」としての業務が加わりました。よく、他の人が「会長として忙しいのに、更に営業本部長等」とか「銀座仁志川業務が好スタートで次々店舗が出来て、それだけでも大変なのにOSG本体の仕事を引き受けるのは大変だ」と言う人がいます。
しかし、これは少しおかしな話です。なにせ1日24時間しかないわけです。私はどのような仕事を兼任しても、所詮「1日24時間」しか出来ないわけです。
多少の睡眠時間は減ったとしても、元々プライベートな時間を持っていないので、対応は可能でした。結局は、どんなに頑張っても「1日24時間」以外は出来ないのです。食事もしなければなりません。睡眠も取らなければなりません。今の時代では通らない話です。これはあくまでも、私個人の話です。しかも、楽しく納得しているから精神的にもほとんどプレッシャーはありません。
私の20代や30代は、もっと体力があったのでフル回転でした。特に、30代前半から始まった「GAT訓練」を主催していた時は、月のうち半分は寺院等を借りて、他社の社員教育を行っていました。2泊3日のハードな教育訓練を3~4回転やれば、ほとんど家に帰らず15日間は山の中です。残りの15日間でOSGの業務をしていました。そんな体験から見れば、もう1つぐらい何かやりたい気持ちですが、さすがに体力は持たないと思います。
銀座仁志川ビジネスでは、各地で店舗がオープンします。それには必ず参加していました。それ以外にも「開業前経営者勉強会」や「身内内覧会・メディア発表会」等のスケジュールもこなさなくてはなりません。幸い「身内内覧会・メディア発表会」は髙橋社長が主役です。髙橋社長にお任せしていました。同じように営業本部長就任とはいえ、具体的には各部署や事業部の責任者が対応してくれます。では何故、営業本部長に就任したのかと言えば、やはり直接現場の人達と話をする時にこの肩書は必要です。まして、今年夏に創立50周年記念式典を迎えるにあたり、取引先様への訪問の際「兼任」が話題になります。私は、どこかで「セールスマン」です。

とは言え、本来の営業本部長就任の目的があったわけです。以前にも説明しましたが、2つの大きな目的がありました。
一つは会長兼営業本部長の立場で100社のお取引先様回りをする。名刺に「会長兼営業本部長」となれば、それが面談冒頭の話題になります。
もう一つの狙いは、ある事業部が一向に改善しない事が気になっていたからだと、第592回に掲載した通りです。
2月22日。この日、吹田江坂店オープンに参加した後、OSG本社に戻りました。
11時からの会議です。ここで指摘をしました。この事業部は「売上主義」にて運営されており、逆に言えば「コスト無視」の事業部でもありました。不振の原因を、私は責任者の「無知の連鎖」として厳しく指摘しました。ここで内容は控えますが、長年この「売上主義」が優先されていたわけです。徹底的な指摘でした。

この後「創立50周年記念事業」の一環として、半年間だけ徹底的に行う事を指示しました。それが「令和異業種交流活性化戦略」であり、その骨子を着手する記念日が今日だと話しました。それを令和2年2月22日2時22分に宣言し、「セブン・ツー」と名付けました。
しかし、それもこれも忍び寄る「新型コロナショック」で吹っ飛んでしまうのですが、この段階ではまだ分かっていませんでした。

次回、9月10日に掲載します。

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