話す話題なし、センスなし、経験なしのたどり着くところは、当然3ヶ月連続実績ゼロの惨憺たる結果でした。小早川先輩は相変わらずトップセールスの道を歩んでいました。英会話教材を「子供教育の教材」として学校の先生のようなイメージで話されていて、お母さん方に大変人気がありました。それを私が真似をしようと思っても、まだ生徒のようなものですから、所詮無理な話です。「私には私なりのやり方がある筈だ」と思っても、経験といえば会計事務所と皿洗いのアルバイト、そして学生時代父親のスーパーでアルバイトをしただけのこと。「どうしたらいいものかなぁ」「自分に合っているもので、仕事に対応できるものは何なのか」と考えていた時に、ハッとひらめいたものがありました。
スーパーマーケットが日本に登場した昭和30年代には「あんなもの、スーッと出て、パーッと消える商売だ。だからスーパーというんだ」と揶揄されていました。父親は見事にその期待に応え、スーッと出て、パーッと消えたのですが・・・。しかし業界そのものは発展の一途を辿っていました。父親が米国視察ツアーに参加したように、こぞってダイエー・ニチイ(マイカルの前身)や岡田屋(イオングループ前身)ら当時のスーパーが、米国視察ツアーに参加していました。
そんな折、外資系のスーパーが日本に上陸するという話がありました。そこでスーパーマーケットの管理者の方に焦点を絞って、英会話の教材を売り込みに行ったのです。
「当たるか、この企画!!」まずは勝負をする為に、お客様側の業界の勉強から始めようと、父親の会社を再建していた長兄に「これからのスーパーマーケットの在り様」を連日に渡り教わりました。同時に出入りの問屋の方から、他店でアメリカなどの流通産業に興味を持つ人がいないか教えて貰いました。その中の1人にスーパーイズミヤの我孫子店に勤務していた、杉浦さんという部門責任者の方がいました。1週間あたためていた企画を抱き、思い切って訪問。意外にもあっさりと「よし、わかった」とOKのサインを頂きました。飛び上がるほど嬉しかった訳ですが、ここのところは我慢をして、震える手で契約書を差し出しました。
契約書にサインをして頂いている杉浦さんを見ながら、私はふと自分のセールストークの一部間違っていたところを訂正しようと思いました。それは「よくこの教材は売れています」というくだりでした。初めてのお客様なのに「売れている」など、それは真っ赤なウソです。
「あのぉ〜、杉浦さん。売れているというのは、他の方が売っているという事です」のような話をしたと思います。いずれにせよ「杉浦さんが初めてのお客様で、私自身3ヶ月成績ゼロである、この4ヶ月目で売れなかったら辞める予定だった、杉浦さんは命の恩人だ」などと言ったところ「そうか、俺は湯川君の命の恩人だな」と笑って契約書を手渡してくれました。
当時私が勤めていた会社では、1ヶ月の最低ノルマの成績を上げれば、15センチ位のミニトロフィーをくれました。殆どの人はそれを貰っていて、机の上に毎月並べている人もいれば、「価値なし」とゴミ箱に捨てている人もいました。私はそんな価値なしの15センチ程度のトロフィーですら貰えなかったのですが、ついに私にとって価値ありのトロフィーを手にした訳です。そこで私は「命の恩人」の杉浦さんにトロフィーを見せる為にお店に行きました。
(次回に続く)
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