代表取締役 湯川 剛

銀座に志かわ本店が9月13日に開店2周年を迎えるちょうど1か月前の8月13日。
銀座本店工房メンバー全員が自宅待機を余儀なくされました。これは、まさに2周年記念を前に試練を突き付けられた出来事です。
前回も書きましたが、当時の私の心境は、日記に書いているように「どうする銀座仁志川」「どうなる銀座仁志川」です。今までのOSGビジネスなら、取引先に事情を説明して訪問を控える等の対応が出来たわけです。しかし、銀座に志かわビジネスはお客様が来店されます。また、予約のお客様もいるわけです。「工房がいないので作れません」等の言い訳は通用しません。50年間の私の経験は、今回の問題で何の役にも立ちません。初経験とは不安なものです。文字通り「どうする銀座仁志川」「どうなる銀座仁志川」でした。

とにかく、人員は5人体制をキープしました。これで何とか、予約分の最低限の生産本数は維持できます。その事を確認した後、私は13時21分発の新幹線に飛び乗りました。
私の車両には私以外誰も乗っていません。前後の車両を見ても誰も乗っていませんでした。当時の「不要不急の外出自粛」が行き届いていたのでしょう。このような光景は何度も体験しました。当時、東京は感染者数が多く、出来る限り東京に行かない風潮がありました。しかし私は、感染者数が多い東京で銀座仁志川にて働いている社員さんやパートさんがいるわけで、放っておくわけにもいきません。時間があれば新幹線で東京まで往復しました。この日も前後の車両を確認しながら「こんな安全な場所はない」と思った次第です。余分な事ですが、それでも車内販売は来ます。ほとんど乗客なしの車内販売です。日頃はコーヒーは買っても、弁当やおつまみ、お茶、アルコール類は買いません。しかし、乗客なしの車内販売にはかなり協力をしました。乗車する時はすっかり顔なじみです。おそらく、毎回私の売上以外はなかったと思います。

さて、東京駅に到着後、私はすぐさま銀座本店に移動しました。到着して広報のメンバーから「銀座本店開店2周年」のチラシの原稿をチェックするように言われました。このチラシが無事に配布できるのか、と思いながら、今回の記念日前の試練と私の持ち合わせている運命を改めて感じました。「食パンの神様」は安易に祝福をしてくれません。
創立50周年の記念式典を迎える2020年にコロナウイルス発生によるパンデミック。いつも神様が私にこのような手荒い祝福を与えるとして、今回も銀座本店開店2周年に工房メンバー全員が濃厚接触者として2週間の自宅待機。しかし、よくよく考えれば、開店2周年を迎える日までには半月の時間があります。おそらく、食パンの神様は「おまえなら乗り切れる」として試練を与えているのだ、とチラシを見ながら自分に言い聞かせました。

8月14日金曜日。この日から銀座本店工房の全メンバー14名は出社できません。そして、臨時メンバー5名がこの日から出社してくれます。
私はこの日、5時前に出社。私の「早朝出勤願掛け」がスタートしました。
私が早朝出社したからといって、工房の手伝いは何もできません。むしろ、工房に入ったとしても邪魔になるだけです。でも、今回の臨時メンバー1人ひとりを出迎えたいと思いました。5時45分に1人のメンバーが「おはようございます」と出社してくれました。その後、メンバーが次々と出社してくれました。何とも頼もしいメンバーに感じました。1人ひとり抱きしめたい気持ちになりました。

こうして、銀座本店開店2周年を迎える祝福の試練が始まりました。

次回、4月1日に掲載します。

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