「早朝出勤願掛け」と称して、私は銀座本店工房の全メンバーが濃厚接触者として自宅待機する期間中、朝5時に出社しました。
15日は4時30分に出社。といっても、何もする事はありません。ただただ、自宅待機をしている彼らが1人でも多く陰性である事を願っていました。この「早朝出勤願掛け」のような事を私はよくやります。前回も掲載したように、当時、コロナ禍で東京都が全国で1番の感染者数でした。私が知っている関西の経営者の人達は、東京には一切行かない方針を取っていました。ある新聞での紹介記事で、経済団体のトップを務めている経営者は都心から離れた場所に自宅があるとの事です。この経営者は、自宅から出ずにここから全社員に指示を出している、との仕事ぶりと閑静な自宅での快適な生活が紹介されていました。私は複雑な気持ちでその記事を読みました。もし、ここの社員さんが読んだらどんな気持ちなのかな、と思いました。勿論、トップとしてのリスクヘッジはしなくてはなりません。むしろ、私の行動が間違ってるのかも分かりません。ただ、現場から上がってきた私としては、それをできるわけではありません。
正直、OSGグループの経営者の中には、ほとんど外に出ない者もいました。この気持ちを継承させる事は中々難しいと思いました。
15日の夜、PCR検査にて4名の工房メンバーと研修生の合計6名が陰性、との第一報が入りました。翌16日にも陰性の報告が入り、20名中14名が陰性。残り6名の結果待ちとなりました。16日夜の日記には「やれやれ、最悪のシナリオは避けられた。感謝でいっぱいだ」と書いてあります。結果的には全員が陰性でした。私なりに「早朝出勤願掛け」は効果があったのかな、と思いました。
ここ数日間で2㎏ほど体重が減っていました。普通通り食事はしていたつもりでしたが、やはり影響はあったのでしょうか。
あっという間に2020年の夏休み期間は終わっていました。生涯忘れる事の出来ない夏休み期間中の出来事です。
「早朝出勤願掛け」は、8月17日月曜日の4時をもって終了としました。
この日、OSGグループの管理職を中心としたオンライン朝会がありました。私は銀座本店から参加。この時、私は「銀座本店工房がコロナ感染者及び濃厚接触者にて誰もいなくなった」という話はしませんでした。今から考えれば、それが正しい選択だと思いませんでしたが、当時はそれほどコロナ感染者や濃厚接触者の存在に神経を使う状況でした。
8月17日の昼過ぎ。私は大阪本社に戻るべく新幹線に乗りました。
翌日から営業本部長としての仕事があるからです。この時の新幹線もガラガラでした。改めて、この数日間を考えました。OSGグループの夏休み期間中に起こった出来事です。
私は「幸いにも取引先も夏休み期間中であり、そのような意味では食パンの神様は、私にいい期間にいい試練を与えてくれた」と心から感謝しました。
大阪に到着後、事前にスケジュールしていた取引先訪問で仕事をこなしました。
それから数日後の8月27日。私は久し振りに銀座本店を訪ねました。
その時、偶然にもコロナに感染したSさんと出会いました。彼とは日頃会う事はありません。なので、Sさんは私との偶然の出会いに驚いたのか「コロナのSです」と笑顔で声を掛けてくれました。Sさんの「コロナのSです」の言葉に正直戸惑いましたが、私は「大丈夫ですか」と声を掛けました。その場を離れた後、「コロナのSです」の挨拶に苦笑し、同時に心の中で「参ったな」と思いました。勿論、Sさんには何の責任もありません。ただ、5年を過ぎた現在でも「コロナのSです」と挨拶を受けた場面は、はっきりと覚えています。この場面は日記にも書いてあります。今読むと笑ってしまいます。
過ぎてしまえば何ともない期間でしたが、私にとっては「銀座本店の工房全員がいなくなる」といった危機感に非常に苛まれた期間でありました。この経験は非常に貴重でした。1か所だけの工房はリスクが高い、という意識を植え付けられた事です。これが直営2号店のきっかけになりました。
次回、4月10日に掲載します。
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