代表取締役 湯川 剛

2020年8月29日。OSG創立50周年の日です。
本来なら都内のホテルにて記念式典及び謝恩パーティーを開催する日でした。数年前から創立50周年委員会が立ち上げ、この日のために多くのエネルギーを掛けていました。しかし、コロナ禍において中止をしなければならない事態になりました。2020東京オリンピックも中止になりました。

私はこの日、東京駅発6時28分上越妙高行きの新幹線に乗っていました。「銀座に志かわ・上越店」のオープンセレモニーに参加するためです。
8時30分に上越妙高駅に到着した私は、2時間後の10時25分上越妙高駅発の新幹線に乗車しました。東京駅に12時31分到着後、銀座本店へ向かいました。
13時から「シン・キングギドラ会議」に銀座本店でオンライン参加。それが終われば、銀座仁志川営業のオンラインミーティング。その後、OSGのある事業部とのオンラインミーティング、と立て続けにオンラインミーティングでした。外はまだ明るい感じでしたが、夕暮れの時間でした。私は1人銀座本店を出ました。何か拍子抜けした気持ちになって歩きました。銀座本店から品川の自宅まで、ちょうど7キロ1万歩あります。時間になおすと1時間半前後です。昭和通りを超え、銀座通りに出ました。

今から50年前のちょうどこの日、私は5人5坪からスタートした当時の事を思い出しました。勿論、50年後のこの日に私が銀座通りを歩く事など、想像しがたい事です。私は通常よりゆっくりと歩いていたような気がします。国道15号線、通称第一京浜の道路を西に向かって歩いていた時には、すっかり夜になっていました。
私は1人、50年前の事を思い出しました。半世紀前の事です。23歳の私は、73歳になっています。光陰矢の如し、という言葉がありますが、正にそれを実感しながら歩いていました。今でも当時の事はありありと静止画のように目に浮かびます。
当時を振り返ると「人なし、金なし、経験なし」の見事にないない尽くしの貧しくて不安定な旅立ちでした。しかし、不安な要素がいっぱいありながら、それを超える夢や希望もあったわけです。いつも全力で取り組んでいました。そして50年が経ちました。
73歳になってどうなのか。当時から比較すれば多くの社員さん達に恵まれ、株式上場もさせて頂き、それなりの経験も積んだわけです。それでは、不安な要素はないのか、と言えばそうではありません。わずか2週間前の私の心境はどうだったのか、です。
「銀座本店」の工房メンバーが全員濃厚接触者として自宅待機になり、工房メンバー全員が不在の状況になりました。でも、その時も全力で取り組んだ自分がいました。
そう思うと、73歳になっても、23歳と同様に不安もありながら、その問題に全力で取り組み、今もって夢や希望は消えていません。

2020年8月29日。創立50周年を迎えた日の夜です。大きな節目の50年です。
本来なら、記念式典と謝恩パーティーが終わった夜です。しかし、この日はありません。
私は、1人で夜の第一京浜を歩いているこの空間が、とても素晴らしいものに感じました。この50年間をゆっくり考える機会を与えてくれました。多くの人々の支えや協力や助けていただいてきた50年です。1人で振り返るに十分な環境です。
もしかすれば、コロナによって中止になった記念式典と謝恩パーティーでしたが、これは神様が私だけに「50年間の褒美」として与えてくれたのかもしれません。これ以上の状況はありません。夜の第一京浜を1人で歩きながら、何とも言えない感謝をかみしめる幸せな気持ちは、間違いなく私だけのものでした。

次回、4月20日に掲載します。

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