2021年1月4日。コロナ禍での初めての仕事始めを迎えました。
11時から始まる全社員参加の「初出式」の前に、管理職だけの「朝会」がありました。
この時の話題は、年末に社員さんがコロナ感染した事による、改めての感染予防が話題の中心になりました。特に、出張先での感染で「原則出張禁止」が守られていない事が問題視されたわけです。出張するにはそれなりの理由があったと思います。「絶対禁止」と「原則禁止」とは違うわけで、やむを得ない事だと思いますが往々にしてこういう時に発覚するものです。改めて感染予防とワクチンができるまで乗り切ろう、と伝えました。
仕事始めとなる「初出式」では、「2021年は上場から20年の節目になる」との話から「株式上場を目指す」と言った当時の状況を話しました。
既に「人プラ」ではその当時の事が掲載されています。話した内容を【第357回 36年8ヶ月の社長業 第3次 次のステージへ(2018年4月10日掲載)】から抜粋します。
「忘れもしません。1991年1月14日。この日は第3次5ヵ年計画の結果発表の日でした。第1次7ヵ年計画(1973~1980)は本社ビルを建てる事を目標に掲げて成功。第2次5カ年計画(1981~1985)は低周波治療器業界日本一 年間10万台を目標に掲げて成功。それに勢いづいて第3次5カ年計画(1986~1991)は、『5年間で売上5倍』を目標に掲げて初の未達成。」
私は何を思ったのか、第3次5カ年計画を失敗したにも関わらず、第4次10カ年計画として「株式上場をやろうじゃないか」と言ったのが1991年1月14日でした。
当時私は43歳でした。100人足らずの若者達が大きな目標を持って立ち上がりました。それから11年後の2001年に上場。
私が2021年の仕事始めに何故このような話をしたのか。
それは上場してからの20年ではなく、その前の1991年1月の出来事を話したかったわけです。
「上場から20年」よりもむしろ「上場を目指そうと立ち上がった日から30年」の気持ちを私自身に蘇らせたかったからです。年齢的には1991年の43歳と2021年の73歳の歳の差はあります。しかしながら、その志や思いは自分自身全く変わっていませんでした。しかし、これはあくまでも、私個人の事であります。
社員さんにすれば、そのような事は全く無関係であり、更に言えば「株式上場20年」のスピーチすら全く何の意味もないのではないでしょうか。ましてや「上場を目指そうと思って30年」など、1991年の話は遠い遠い昔話にしか過ぎません。
しかし私は、2021年1月の仕事始めである「初出式」にてこの事を話したのです。
それは他でもなく、まだ先が見えないコロナ禍の中にあって、全社員が一丸となって乗り切らなければならない「気概」を私自身に言い聞かせた内容でした。
果たしてコロナは終息するのか。2021年1月の幕開けは、そんな不安よりもむしろ「何としても乗り切る」という気持ちで迎えるために、43歳の自分自身の「気概」として年の初めに「株式上場20年」と言ったわけであります。
次回、7月1日に掲載します。
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