代表取締役 湯川 剛

前回も掲載しましたが、「高級食パン文化記念月間」の期間中に100店舗目を実現する事を目標として掲げていました。そのためには、直営店の出店をしてでもやる、という強い決意でした。
その直営店の出店候補が「白金台店」「三田慶応大前店」「築地店」の3店舗です。問題はどの店舗を100店舗目にするのか、という事です。既に98店舗目までは決まっていましたので、99店目・100店目・101店目をどの店舗にするのか、について社内で議論しました。これといった決め手がなく迷っていたところ、総務部長の一言で急転直下決まりました。
「まず、99店目は白金台店でしょう」と言われ、私は「?」と首をかしげました。総務部長の話が続きます。「湯川会長、白寿をご存じですか」と言いました。「百」という漢字から「一」を引くと「白」となることから、99歳のお祝いは「白寿」と呼ばれている、と説明を受け、私は納得しました。「よし、99店目は白金台店だ」。
そして私は、100店目も大事だが、第2ステージの始まりの101店目も大事だ、という事で、迷う事もなく「日本の台所」である「築地店」に決めました。「築地店」との出会いは、第2ステージの始まりの101店目に相応しいと思いました(第619回 「ビビビッと来た」ビルとの出会い 2025年5月1日掲載)

2021年4月14日。100店舗目が実現しました。
銀座本店が第1号としてオープンした2018年9月13日から数えて2年と7か月。
「3年で100店」と「高級食パン文化記念月間(4月8日から5月9日)期間中の実現」という2つの課題をクリアしました。オープン当日は朝から大雨でした。当時、銀座に志かわの新店舗がオープンする時、通常はお客様がオープン30分前から並んでいただきます。この日は雨の影響か、30分前になってもお客様は誰も並んでいただけませんでした。私は、毎年受ける「国立がん研究センター」での「癌検診」の初日でした。当然の事ながら、私は銀座に志かわの全ての新規オープンに原則参加します。とはいえ、以前も掲載しましたが、オープンに立ち会いますが、私の役割はほとんどがカメラ係です。これは私自身が進んで行っている事で、オープン前のミーティングは髙橋社長に任せています。
ところが、100店目となる「三田慶応大前店」オープン前のミーティングは直営店という事もあり、私が行う事になりました。もしこの日が晴れていた場合は、髙橋社長に任せていたかもしれません。記念すべき100店目のオープンが大雨であった事が、私を動かしたのかもしれません。

私は、「三田慶応大前店」の店長以下スタッフにこのように話しました。
「今日は記念すべき100店目のオープンが、ご覧の通り大雨です。皆さん方は大変運が良いです。昔から、雨の日は振り込む、などと言いますが、そんな話ではありません」との私の最初の言葉に、スタッフの皆さん方は「うん?」というような顔付きで私を見ました。私は、「こんな大雨の日に来ていただけるお客様は、本当に銀座に志かわの食パンを待っていたお客様です。最高のお客様と出会えるのです。次に、皆さん方はこれから、天気の良い日に感謝します。『わぁ、今日は晴れている!』と。最初から晴れであれば、晴れている日をそんなに感謝する事はありません。でも、雨の日に出会ったからこそ晴れの日に感謝します。そして、何よりも運があるのは、この日私も立ち会った事です。私がいれば何も問題はありません」と明るく笑顔でお話しました。スタッフの皆さんも笑顔で聞いてくれていました。オープン時間が来ました。ありがたい事に、傘を差してお客様が並んでいただきました。

私はその光景を見届けた後、国立がん研究センターへ向かいました。傘を差して歩きながら、先程の挨拶を振り返りました。「皆さん方は大変運が良いです」と言ったものの、何故運が良いのか、腑に落ちる話は何もありませんでした。雨の中で来ていただけるお客様や晴れの日への感謝、まして私が雨のオープンに立ち会った事も含め、何も「運が良い」という内容ではありません。でも、スタッフの皆さんはニコニコしながら笑顔で聞いてくれました。おそらく、私が雨の状況の中でも何とか雰囲気を作ろうと思っている事を察して、スタッフの皆さんが聞いてくれたのではないかな、と思いました。

銀座に志かわ100店目、銀座に志かわ・三田慶応大前店。最高のスタッフです。
私はめちゃめちゃついています。


【追記】
第1回「人生はプラス思考で歩きましょう!」(略:「人プラ」)は2005年1月1日から始まりました。私が58歳の時にスタートしたわけです。
時々、お取引様やOSGを辞められた元社員さんから「読んでますよ」と言われ、恐縮しています。21年前は10年以上前の出来事を掲載していましたが、最近では5年前の出来事を掲載しています。そうすると、例えば今年の8月29日の「OSG創立55周年記念式典&謝恩パーティー」の出来事は、2030年の掲載予定であり、その時私の年齢は83歳になります。
ようするに、私が倒れる時「人プラ」が途中経過で終わるわけです。

そんな折、私は創立55周年記念式典を終えた夜に「余命10年宣言」を行いました。
その結果、今月末より別枠で月1回程度、2025年8月からの出来事を掲載したいと思っています。タイトルは、「人生はプラス思考で歩きましょう!余命10年宣言編」(略:「人プラ余命10年」)です。従来の「人プラ」(月3回)とは別に、「人プラ余命10年」(月1回)を掲載する予定です。

次回、9月20日に掲載します。

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