代表取締役 湯川 剛

32回目の誕生日であった1979年1月15日。この日をリズムタッチの誕生日としました。
1月15日といえば当時は、成人の日で祝日でしたが、休日返上でささやかなお祝いをしました。従来の浄水器販売から新たな商品に期待と未来を賭けるべく、販売体制の組織編制を行ないましたが、浄水器のメンテナンスはどのような事があっても手を抜かずにやろうと、祝いの席で改めて発表しました。
2月にはGAT訓練及び販売作戦が本格的に開始されました。ガソリンスタンドが「淘汰の時代」と言われた元年です。元売会社も合併が始まり、各ガソリンスタンドの経営者も生き残りをかけて、必死な状況であったかと思われます。その影響がGAT訓練及びGAT作戦の依頼へとなった訳です。正月三が日もろくに休むことなく、スケジュールがいっぱいのまま、1979年も開始されました。
3月にはいって、思わぬ情報が入って来ました。それは自社ビルの用地情報でした。
昭和48年(1973年)の秋に浄水器のアフターフォロー企画書を持参した会社から「小さな貸室で仕事をしている」事を理由に断られたその日から掲げていた「第1次7ヵ年計画の自社ビル建設」(第36回〜第39回掲載)は、私にとって夢であると同時に公言したばかりに重い十字架でもありました。
誰が未来の事を予想出来るでしょうか。誰が7年後の約束が出来るでしょうか。予想は出来ても実現出来る確率など、まさに夢の夢です。でも若さがそんな矛盾を矛盾と思わないで、前へ進んで行ったのでしょう。「自社ビルを建てるぞ」と言葉で言うだけならまだいいのですが、用地の確保も出来ていないのに
「この完成図のような角地に建てるぞ」とどんどんその思いは膨らんでいきました。角地にこだわったのは、断った会社が角地にあったという単純な思いであって、今から考えれば何の裏づけもなかったのです。
そんな角地条件の土地が売りに出されているという情報でした。自社ビルを建てる約束は迫っていましたが、土地すら確保できず、そのくせ「自社ビルを建てるぞ」と言っていた私は飛びつきました。30坪という広さは断った会社の1/10にも満たないものでしたが、「建てる」事が第1条件でしたので購入を決断しました。この用地購入は5坪の貸室から「自社ビルを建てる」のホラ吹き話と思っていたかもしれない社員さんに「アレ、ホントかよ」と僅かながら振り向かせる効果がありました。面接時に「第1次7ヵ年計画」の話は面白くて聞いてくれるのですが、入社してからは本気にしてくれていない社員さんが殆どでしたが、少しは理解してくれたようです。

(次回に続く)

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