銀座仁志川の顔となるべき商品は、「定番食パン」(2斤)です。これは、2018年9月13日に銀座本店で発売されて以降、この商品ひとつで約1000日間やってきました。
食パン外商品としては、「生抹茶みつ」や、昨年12月末に発売された「和加らすく」がありますが、主力商品はこの「定番食パン」のみです。そこでもう1つの顔となるべき商品を1年前から考えていました。それが、「あん食パン」です。前々回にもお伝えしました。では、何故あん食パンを「銀座に志かわ」の顔にしたいのか、という事です。
あん食パンは、札幌でも大阪でも名古屋でも博多でも、既に販売されていると思います。
しかし、主力商品「定番食パン」に続く、2番目の主力商品を「あん食パン」にした理由があります。国民的菓子パンの王者は「あんパン」です。マンガやアニメで取り上げられている「アンパンマン」も、まさに「あんパン」の知名度の高さから採用されたのでしょう。ご承知のように「あんパン」が全国的に広がったのは、元祖木村屋「あんパン」です。それが「銀座」から広がったわけです。私は木村屋のあんパン誕生の由来を調べました。細かな話はさておき、ポイントだけを掲載します。
『明治2年3月28日。木村安兵衛53歳の時に、日本人初のパン屋を開業。創業初期に大火の試練に見舞われる。しかし、それにもめげず再建を重ね、明治3年に現在の銀座5丁目に再スタートするが、再び火災に遭う。それにも負けず、明治7年に試行錯誤の末に「あんパン」を完成させる。翌年の明治8年、そのあんパンが明治天皇に献上され、日本中に広がる。』
私は、この「あんパン」誕生の秘話を知り、感動しました。
明治初期の男性平均年齢は42歳。令和初期の男性平均年齢は約80歳。
木村安兵衛が53歳だった事を考えると、当時の平均年齢から見れば、私の75歳は同年代と言えます。
「あんパン」は銀座から日本中に広がった。「あん食パン」も同じだ。
多くの試練に巡り合いながらも、それにもめげず挑み続ける木村安兵衛さんの姿は、正に私が憧れる姿です。「銀座仁志川」は、紛れもなく「銀座」から誕生しました。この地の利を活かさずして何を活かすのか。多くの人に「あんの入った食パン」と呼ばれる事なく、ズバリ「あん食パン」と1人でも多くの日本人の方に言ってもらうためにも「銀座仁志川」の主力商品2枚看板として「あん食パン」を発売しようと思いました。一般的には北海道の十勝あんをイメージしますが、使用する「餡」には特別な思いを入れようという事になりました。その結果、銀座に志かわの「あん食パン」の餡には朱鞠(しゅまり)小豆を採用する事になりました。朱鞠(しゅまり)小豆は、北海道・十勝岳連峰の麓である上川地区や十勝地区で栽培され、北海道産小豆全体の2~3%程度しか生産されない希少価値の高い小豆です。ほかの小豆にはない淡い紫色と上品な香りが特徴で、豊富な滋養を持つ事から健康食材としても注目を集めています。朱鞠内湖の近くで育成され、朱色の鞠のように美しいことからこの名がつけられているとの事です。
「これだ!これにしよう!」となりました。
こうして、「銀座に志かわ」の主力2枚看板「定番食パン」と「あん食パン」が決まり、2022年2月1日に全国発売となりました。
次回、3月20日に掲載します。
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