代表取締役 湯川 剛

東京:晴海の見本市会場は、私にとって初めての場所でした。こういう場所に行き慣れていない関係か、御のぼりさん的な気分になっていました。今日の目的は「業界としての秩序を守って貰おう」という事で、気持ちだけは高ぶっていました。今から考えれば、的外れな事をしたと赤面する思いですが、その時はそんな考えは微塵もなく、幹部に面談を求めました。出て来られたのがなんと専務理事の肩書きのA氏でした。
「何か?」との第一声に私は話の間を取ることもなく、一気に何故来たかを説明しました。
「二重価格はおかしいのではないか」
「技術革新もされていない製品が出回っている」
「何故、工業会で指導しないのか」
「我々、この業界にいて恥ずかしい思いだ。いい加減な業界だと思われている」
私はパイプ椅子に座っているのですが、A氏はテーブルをはさんだ向かいの椅子に座る事もなく、立ったままで私の話を聞いていました。私は今でもその光景が脳裏に浮かびます。
A氏は困惑した顔と冷ややかな顔が交差しながら、手渡した名刺を右手でヒラヒラさせて
「元気がありますなぁ。この業界、何年ですか。そうですか。湯川さんのような人がいると頼もしい」
「もう少し頑張られて、良かったら会員になって下さい。じゃぁ〜。」とわずか数分でその部屋から出られました。私はパイプ椅子に座りながら、呆然としていました。「何じゃ、こりゃ」
私は「バカにされた」と胸の中が熱くなっていました。今から考えれば、おかしな話です。
二重価格や技術革新とA氏とは何の関係もない話です。しかし、その当時の私はそうは思わなかったのです。「よ〜し、この業界の日本一になってからもう一度A氏に会ってやるぞ」
帰阪した私は大阪長堀日生光陽ビルの貸し会議室に全社員さんを集めました。
そしてA氏とのやり取りを説明し
「我々、後発メーカーが30年以上歴史のあるこの業界でモノを申すには業界日本一にならないと誰も聞いてくれない」
「今日から我々は低周波治療器の業界日本一を目指す」
「みんなは明日から日本一と取り組む男だ」と吠えまくりました。といった状態でした。
1月15日の新発売から299日目の11月11日でした。
この日からOSGは「11月11日」を「決起の日」とし、その日から「OSG決起の日」または「OSG挑戦の日」と創業記念日に次ぐ社内記念日となりました。

(次回に続く)

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