10月1日に猪木が亡くなって以降、私のスケジュールは「猪木一色」でした。ほとんどの時間を四十九日法要やお別れ会、生前に猪木と約束していた猪木の映画、更に猪木のお墓・ブロンズ像の建立に向けて費やしました。
「猪木本人が生きているなら、猪木のためにしてあげる事は理解できるが、猪木本人がこの世にいないのに何故湯川さんはそこまでやるのか」と多数の人から尋ねられる事もありましたが、正直私自身も分かりません。当然の事ですが、この費用は全て私個人が負担しています。
そんなバタバタとした1か月が過ぎた11月5日、全国拠点長会議。
私は参加している約100名の管理職に向かって、「今日は猪木の話をしよう」と発言しました。私自身、社内で「猪木」について話す事は基本的にあまりありません。それは、猪木との関わりは会社とあまり関係がないと思っているからです。もう少し詳しく説明しますと、1983年頃に「アントニオ猪木」はOSGのCMに出演していました。その関係から、猪木は創立15周年・20周年・25周年と大きな節目に必ず会社の行事に参加してくれました。
株式上場をした際には、社員全員とのビールかけにも駆け付けてくれました。その光景をテレビのワイドショーに取り上げてもらったのも猪木のおかげです。彼には大変お世話になりました。この時期の「猪木」はOSGと一体となって、販売促進や会社の行事に積極的に参加してくれました。当時の社員さん達も「スーパースターアントニオ猪木」の存在は非常に身近にあったと思います。幹部社員の結婚式にサプライズで出席してもらった事もあります。
私と猪木の出会いは、以前「人プラ」で掲載(第83回 アントニオ猪木さんとの初めての出会い 2008年6月1日掲載)しています。私が36歳、猪木が40歳の時からの付き合いです。
さて、話を戻します。
全国拠点長会に参加している管理職のほとんどは、その時代の事を知りません。一般的に「スーパースターアントニオ猪木」と認識し、「以前に我が社のCMに出演していたな」という程度です。周年記念式典に出演した際に実際の猪木を見た、という社員がほとんどです。
そんな管理職に向けて、この日私は改めて「猪木の話をしよう」と話し始めました。
私は、亡くなってから以降、「猪木」と呼び捨てにしています。そこには理由があります。
私は、猪木が歩んできた生涯を考えた時、必ず彼は「歴史上の人物」になると強く思っているからです。「アントニオ猪木」は今日まで、レスラー時代であれ、政治家であれ、またその肩書がない場合でも、空前絶後と言える出来事を成し遂げてきました。
勿論、そのような人物ですので数多くのスキャンダルもありました。普通のタレントや政治家、レスラーであれば、その1つのスキャンダルでその業界から消える事があっても、彼にはそれがありません。むしろ世間はそれを、「アントニオ猪木だから」と彼の存在感を増幅したように思います。そんな人物なので、私は間違いなくアントニオ猪木は「歴史上の人物」になると確信しています。私は、30年後・50年後、そして100年後にもその破天荒でエピソード満載である彼に興味を持つ人物だと思っています。
例えて言うなら、IT時代の現代にも織田信長や坂本龍馬が興味を持つ人物であるように、アントニオ猪木はこれからのAI時代において「人間臭さ」に興味を持つものと思います。私は、「坂本龍馬」を坂本龍馬さんとは呼びません。「織田信長」を織田信長さんとは呼びません。同じように、歴史上の人物になるであろう「アントニオ猪木」もアントニオ猪木さんとは呼びません。だから、私は「猪木」と呼んでいるのです。
私は、全国拠点長会議に参加している管理職の人たちに、猪木がOSGと関わり合ってくれた出来事を話しました。そして最後に、「後年、OSGには歴史上の人物がCMに出ていたんだ」と話しました。
「うちの会社、昔、坂本龍馬がCMに出演していたんだ」と言うように。
次回、8月20日に掲載します。
ご意見、ご感想は下記まで
support@osg-nandemonet.co.jp