代表取締役 湯川 剛

1980年(昭和55年)は創立10年の年として、今でも忘れられない1年間でした。
創立3年目に「自社ビルを建てる」と宣言。第1次7カ年計画達成に向け、着々と工事は進められていましたが、残念ながら宣言した期日にビル完成には至りませんでした。建物の基礎にこの7年間に勤務してくれた社員さん全員の名前を刻みました。当然、辞めていった社員さんの名前も刻みました。この7年間のひとつの目的が自社ビル建設であり、そこには多くの仲間達の努力と汗の結晶が、工事の槌音となっていた訳です。この「基礎に名前を刻む」という儀式は、それ以降の弊社のビル建設時には必ず行なわれました。また私の友人がビルを建てる時にも、その事を勧めて実行された会社もあります。

また初めての大掛かりな創立記念イベントもこの創立10周年で行ないました。多額な予算がある訳ではないので、限られた予算内でのテレビCMや雑誌の広告でイベントの呼びかけ(健康イメージギャル募集)をしました。何よりも忘れられないのが全社員で募集ビラの手配りでした。毎朝、仕事が始まる前1時間前に、大阪・神戸・京都の主要駅前に別れて呼びかけのビラを撒く訳です。通勤通学の人達に3ヶ月に渡って、何10万枚も配りました。まさに「手作りの10周年」を全員で味わいました。通常より1〜2時間も早く出社してのビラ配り。本当ならば不平不満の声が上がってもおかしくないと思うのですが、社員さん達はとにかく楽しんでやってくれていました。その努力の結果か、テレビや雑誌の呼びかけよりも、この募集ビラの手配りで応募してくれた人数が一番多かったのです。

この年の忘れられない出来事の1つに、夏の賞与がありました。4年前の1976年4月26日の夜に「仕事の鬼になる」(第42回参照)と宣言後、かなり厳しく社員さんに対応して来ましたが、それでも付いて来てくれた社員さん全員に夏の賞与として100万円を支給しました。当時の金額としては破格だったと思います。社員さん達は大変驚き感謝を示してくれましたが、むしろ私の方が社員さん達にその何十倍も感謝の気持ちでいっぱいでした。
33歳という年が「社長と社員」の壁を取っ払い、「みんな一緒」の気持ちだったと思います。だからと言って社内では礼儀礼節を含め、かなり規律の取れた職場環境であったと思います。それは私自身が他の企業に社員教育訓練をしていた関係上、必要以上の社内教育があったと同時に、私自身にかなりの規制を課せていました。それが私のひげ面に関係します。
私がひげを伸ばしたのは、この1980年7月からでした。

1980年(昭和55年)7月に広島で訓練がありました。当時から月半分は合宿道場で過ごし、残り15日は社長業をしていましたが、この7月は休みなしの連続訓練をしていました。
訓練期間は2泊3日で、例えば100人規模の会社の訓練を引き受けた場合、2泊3日を3回に分けて行なう訳です。月曜日から始めれば水曜日の夜に終わる、次は1日空けて金曜日からスタートする訳です。訓練と訓練の間の1日に気分の切り替えを行ないます。超多忙な時は、この1日に会社に戻り、社長業を行なう時もあります。そこでひげを剃って気分一新で次の訓練に挑むのですが、7月7日が切り替えの1日でした。しかし私はこの時から、ひげを剃らなくなりました。

(次回に続く)

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