代表取締役 湯川 剛

猪木さんに手紙を書こう!
何せ「神様からの引き合わせだ」なんて思っているから、これ程強いものはありません。
しかも前しか見ない36歳の年齢がそう行動させたのでしょう。
広告代理店が何と言おうと、広告代理店の声より神様の声の方が大きい!
そして私は生まれて初めて、ファンレターを書くのでした。

「自分は今、小さな会社を経営している。36歳である。日本一を目指している。CMに日本一に相応しい出演者を起用したい。先日、新大阪で出会った。今日、テレビの番組を見た。
今は、無名な会社。このような会社に猪木さんはテレビ出演されないと聞いた。」と書き、さほど出演料は出せないが出演依頼の内容を書いて最後に「今、貧乏!将来、希望!!」と書いて、祈りを込めて新日本プロレスの猪木さん宛に投函しました。

人間は「ダメ元」と思いながらも、多少の期待はするものです。投函した翌日から「返事が来ないなぁ」なんて思う程に、「ダメ元」どころか200%期待していました。勿論、心のどこかでは「ダメだろう」という気持ちもありましたが、あの私の大好きな書籍「信念の魔術」の「あなたの念い(おもい)があなたの人生を方向付ける」「念じなさい。そうすれば実現する」の気持ちの方が強かったと思います。

しばらくして、「猪木さんの代理」という方から連絡が入りました。「出演はOK」との返事でした。私はOKを期待していたのにも関わらず、実際にそうなると驚きました。当然、出演料次第だとの条件付きであったにも関わらず、私は「契約を検討する方向で進めたい」という先方からの回答を既に「契約完了」の面持ちで、ただただ喜んでいました。それは単に出演を承諾して貰ったという事よりも広告代理店が「不可能だ」と片付けた事に対する「決して不可能な事ではなかった」事を証明した喜びだったと思います。

後日談ですが、「今、貧乏!将来、希望!!」の言葉は、猪木さんを決心させる大きなインパクトを与えたらしいです。尚、この時の出演料は猪木さんの配慮により破格の価格でした。

その後、改めて1983年3月24日、猪木さんとロイヤルホテルにて面談しました。新大阪で最初に見たオーラ以上のオーラが眩しく輝いていました。私が36歳、アントニオ猪木さん40歳の出会いでした。

(次回に続く)

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