代表取締役 湯川 剛

1985年、かつて5人5坪からスタートした会社も15年目の年を迎えました。その間、浄水器をひたすら広めて来ましたが、依然として認知度は低く、一般に受け入れて貰える環境ではありませんでした。しかし、いつか必ず安全な水、そして安全からおいしい水、更においしい水から身体に良い水が求められる時代が来ると信じていました。ですが希望だけで「メシが食える」訳ではありません。会社を維持させ、社員さんの生活を守る為にも・・・との思いから、低周波治療器を取り扱いました。自社ブランド「リズムタッチ」を誕生させるまでの間には、色々な人の出会いがありました。このような人生の協力者の方々の為にも「業界日本一」で成果を現そうと決意しました。

業界日本一を私達の能力の「優勝劣敗」と位置づけました。
我々の能力が優れていれば業界日本一を果たせる。劣っていれば、成し得ない。
5年間の成果を出すべく、1985年を迎えました。

皆の士気を鼓舞する良い案はないか。私は公共の電波を使って「業界日本一宣言」する事を思いつき、OSGの若手社員をテレビに出演させる企画を立てました。
元旦の午前0時、関西テレビの「エンドレスナイト」の番組で「我が社は業界日本一になります!」と図々しくも公共の電波を3分間も使って「日本一宣言」。これで、もう1歩たりとも引けない状況になりました。
OSGは、この瞬間から闘いの火蓋が切って落とされたのです。

1月3日、全幹部が名古屋の熱田神宮に集結。幹部達は1年前より「織田信長」の本を読み、「天下獲り」の物語を頭に入れていましたので熱田神宮がどういう意味合いの場所なのか、全幹部熟知しています。
織田信長率いるわずかな手勢4000名が今川義元の4万人に闘いを挑み、勝利するあの歴史的戦いの「桶狭間の戦い」。熱田神宮とは、この桶狭間の戦いの際に信長軍が集結し、大軍今川勢に闘いを挑んだ場所です。「さぁ、やるぞ!」幹部全員の気持ちは高ぶっていました。

不思議な事にこの年は1月より、従来より1桁も違う大型キャンペーンが次々と決定し、「強い想いは現象を引き起こす!!」という言葉を肌で感じました。
1月より大手K百貨店でキャンペーンが開始。目標は5000台。
1月、全国チェーンS薬局販売キャンペーン開始。目標2000台。
2月、北海道M実業販売キャンペーン開始。目標3000台。
4月、大阪の地元大手スーパーMキャンペーン。目標4000台。
5月、商社系N石油販売キャンペーン。目標3000台。
5月,近鉄百貨店上六店にて、リズムタッチ企画・新日本プロレス展開催。3日間大入り。
前日より寝袋などを持ち込んでファン殺到。上六店開店以来最高の入場者を記録する。
そして5月には1ヶ月間の販売台数が1万台を突破。
9月には石油元売のK石油広島支店にて、「大GAT訓練・販売作戦」開始。目標8000台。
9月より全国に向けて「スポーツ講演」を企画。当時の有名プロ野球選手、金田正一氏・村山実氏、皆川睦雄氏、そしてアントニオ猪木氏も協力してくれました。

従来の設置型低周波治療器を、「ビジネスの後に、レジャーの後に、そしてスポーツの後に」と気軽に使える携帯型にしたリズムタッチは「スポーツ講演」でそのイメージ化に成功しました。

(次回に続く)

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