代表取締役 湯川 剛

前回の掲載内容に一部誤りがありました。
上海から台北を経て香港に行ったと掲載していましたが、正しくは「上海から香港を経て台北へ」の誤りです。

この時期の私の仕事は、大きく分けて3つありました。
1つ目が、「銀座仁志川」の海外市場構築です。この時で、既に上海では2店舗を運営し、3店舗目の準備を進めていました。台北においては、第1号店は元々イートイン付き店舗を目指していましたが、台湾株主の意向や店舗探しの期限もあり、テイクアウトの店舗となりました。そのため、第2号店では何としても私の構想であるイートイン付き店舗を模索していました。香港進出への足掛かりも大まかな青写真が見え始めていました。出資者であり、運営も行うメンバーとの顔合わせも何度か行いました。

2つ目は、公益法人「アジア協会アジア友の会」(JAFS)の理事長としての活動です。
1979年10月、創始者村上公彦(牧師)を中心に阪急電鉄柴谷初代会長として「アジア協会アジア友の会」設立。「井戸を贈る運動」としてスタートし、1988年に社団法人化。更に、2012年には公益社団法人「アジア協会アジア友の会」となりました。
私は41歳の時、2代目会長から勧められて1988年に会員。入会後すぐに理事に任命されましたが、正直あまり活動はできていませんでした。当時の私のスケジュールから見れば、時間的にそのような活動の余裕はありませんでした。ただ、2001年から10年間にわたり、毎年カンボジアに学校を寄付。その間、個人的に井戸を贈る活動を行っていました。67歳の時に副会長、73歳の時に理事長に就任した時も、ほとんど「事後報告」のような状況でした。「湯川なら断らないだろう」という事でしょうか。
副会長時代から、公益社団法人「アジア協会アジア友の会」の活動に少しずつですが時間を割くようになりました。本格的に動き始めたのは、創始者である村上公彦専務理事兼事務局長が退任された今年からです。「これは本気に取り組まなければいけない」と思ったのは、そこにはJAFS内部の問題がなかったわけではないからです。むしろ、問題を先送りしてきた部分もあり、それを私の代で解決しなければいけないと思いました。あわせて、理事の高齢化による若返り等の課題もありました。78歳にして「新しい課題に取り組む」事になりましたが、私の闘魂に火を点けたのは「未解決問題」が存在していたからです。
私の性分は、どうも「平時」ではなく「乱世」の方が活動の細胞が動くらしいです。

3つ目は、「アントニオ猪木」案件です。稀代のスーパースターである猪木が、亡くなる直前に私を頼ってきた事に対して、責任感のようなものを感じています。このような著名人と接するとメディア等が事実無根な事を言うので、本来なら避けたいところです。現に、週刊誌等でよくもこのような事実とは異なる内容を掲載するのだな、と呆れかえるほどです。だから、実際のところこのような著名人とは関わりたくないのが本音です。とはいえ、今のところ猪木の周辺に「アントニオ猪木」の名誉と実績を守ってくれる人は見当たらず、やむを得ず私がその役割を担当しているところです。私の気持ちとしては、「相応しい人や団体」が現れれば、すぐにでもバトンタッチしたいところです。ただ、やる限りは手を抜かず全力で取り組む気持ちです。
「100年先の人々にもアントニオ猪木と接触させたい」という思いから、「AI猪木」のプロジェクトを立ち上げています。「アンドロイド猪木」の実現のために、私の後半の人生を費やしたいと考えています。

上海・香港・台湾への海外出張から帰国後の6月23日。私はJAFS事務局で第1回目のミーティングを行いました。内容は「組織」についてです。45年の歳月を経た事務局は色々な問題を抱えていますが、そのこと自体は私自身あまり驚く内容はありません。この年数を重ねると、大なり小なりどの組織にも起こる問題です。JAFSは、創始者である村上公彦先生の魅力によって構築されてきた団体です。カリスマ的経営により、ほとんどは「個人采配」にて進められていました。それだけに、カリスマ経営者がいなくなる会社と同様に、組織化がされていない事への危うさもあります。2029年にJAFSは50周年という大きな節目を迎えます。
この50周年を迎えるまでの4年間で、再構築しなければなりません。その第一課題として、「組織」について認識する事が急務です。4年掛けてやらなければならない事で、この日はその初日にあたりました。正直、参加者は心なしか「なんで今さら」という感じでした。また、財務的にも決して豊かでない事が分かりました。「組織の再構築」と「財務の健全化」が事務局における大きな課題である事が見えてきました。
この日は14時に事務局ミーティング。15時にある委員会に特別出席。更に、16時に総務委員会にも特別出席しました。
私の理事時代は、このような委員会にはほとんど出席していませんでした。出席されている理事の皆さんには感動すら覚えます。一方で、この理事の方々に対して「若返り」を告げる厳しい現実もあります。本来、これは私の仕事ではなく事務局の仕事ですが、現実には長年現状維持のまま今日を迎えています。
私は会社では味わえない感覚を感じました。またこの日、事務所から会議室に向かう時、事務局スタッフに「事務所の電気は無駄だから消しなさい」と指示をしました。たぶん、今まで言われていないのでしょう。改革は、このような小さな事から始めなければいけないのだな、という事をこの日改めて自覚しました。

「銀座仁志川」の海外市場開拓。
「公益社団法人アジア協会アジア友の会JAFS」の再構築への取り組み。
「スーパースターアントニオ猪木」を後世に残す取り組み。

私は、現在取り組んでいるこの3つの課題に対して、まずは「感謝の気持ち」で行う事を前提としました。そうしなければ、新しいアイデアも積極的な行動も生まれてこないと改めて自分に言い聞かせました。

OSG創立55周年記念式典まで、あと67日です。


次回、8月29日に掲載します。

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