進学断念と多額の借金!! 他人が聞けば、これ程不幸な18歳の社会への旅立ちはないと思うかもしれませんが、実はこの2つの出来事が、私のそれから以降の人生に大きなプラスを与えてくれたのです。
いや世の中、何が不幸な出来事で、何が幸せな出来事なのか、分からないものです。
・・・でも当時の私は、そんな物分かりのいい、前向き・プラス思考の青年ではありませんでした。だからと言ってそれ程、不幸な環境を恨んだり、悲観的に物事を見ていた訳でもありません。それが与えられた事であるなら、受け入れるしかないと思っていたのでしょう。ただ少しショックだったのは、自分が将来決めていた道を容赦なく変更させられた事です。
当時の私の夢は「将来は建築設計士」と決めていたものですから、いきなり父親から「会社倒産の事務処理をする為に、公認会計事務所に行くように」と言われた事はガッカリでした。「借金を背負わされて、その上、職業選択の自由までも奪われるのかいなぁ」と反抗すれば良かったのですが、なに分にも相手(父親)は精神的に弱っていますから、文句など言えようもありません。よって私の就職先は夢にも思っていなかった「公認会計事務所」という事になりました。
この公認会計事務所の藤井義孝先生のご子息が、今のOSGの社外監査役になって頂いて、親子2代にわたってご指導を受けています。現在80歳になられる大先生もお元気で、40年のお付き合いをさせて頂いています。私が初めて社会に出た時の上司であり、経理というものを教えて下さいました恩師でもあります。「算盤(そろばん)を毎朝1時間、136円ナ〜リ、136円ナ〜リ・・・と続けて136円を弾きなさい」これは勤務初日の朝、算盤を知らない私に藤井先生が指導された第一声です。現在のように電卓もなく、算盤が主流でしたが、その算盤すら触った事もありません。勿論、簿記なども知りません。そこで昼は会計事務所に勤め、夜は経理専門学校に通いました。
藤井先生は私によく「会社倒産の資料等は、買おうと思っても買えないものだ。だからこの生きた資料を利用して、経理を早く覚えなさい。」と、よく言われました。私は1年を過ぎたあたりで、中小企業の簡単な決算なら、自分で出来る位になりました。経理を知っている事は、後々の私に大きな影響をもたらしました。どんな仕事に携わっても経理を知っている事ほど、強いものはありません。また「税務署」という言葉を聞くだけで難しく感じたり、敬遠したい存在に感じたりする人がいますが、私は会計事務所の仕事の関係上、書類を持って大阪府下の税務署に通っていましたので身近に感じ、このことも後々の私に影響をもたらしてくれました。またこの「藤井公認会計事務所」には、多くの社長さんが訪問されるのですが、「儲けている社長さん」「赤字を出している社長さん」を観察する事も出来ました。どういう会社が繁栄し、どういう会社が倒産するのか。「習わぬ門前の小僧」ではありませんが、当時の私なりに感じ取っていました。私が23歳で会社を作る時、「経営理念」を掲げたのはそんなところから影響を受けているのではないかと思います。
(次回に続く)
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(次回に続く)
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