代表取締役 湯川 剛

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会計事務所での初任給1万5000円は相場の約半分位でした。それはたぶん経理を教えて頂いている事もあったと思います。とはいえ、やはり生活は苦しく、小遣い等は殆どありませんでした。借金返済は4年間据え置きとなっていましたが、毎月6万円返済はこの時点では物理的に不可能でした。小遣いの殆どは、昼食代や経理学校に行く前の腹ごしらえに消えました。高校時代は1日6食(朝食・早弁・昼食・部活前・部活後・夕食)でしたので、1日4食(朝食・昼食・学校前・夕食)は18歳の青年にとってかなりつらいものでした。1食にかなり詰め込んでいたように思います。

話は横道にそれますが、私はこの年になってもカレーライスが大好物です。1日3食でもOK。勿論カレーうどんも大好きです。食堂でカレーライスとカレーうどんを同時に注文した事もあります。(ちょっと恥ずかしいので、注文の時には少々の小ワザは使いますが・・・笑)。そこには貧乏駆け出し時代の私の食生活に関係があると思います。

当時の食堂は、弁当の持ち込みはOKでした。会計事務所近くに「大松食堂」というご家族でやっている食堂がありました。

当時、私は弁当箱にご飯をいっぱいに詰め込んで、かけうどんをおかずに毎日昼食を食べていました。毎日です。毎日、うどんがおかず代わりでした。今なら躊躇するかもしれませんが、当時はあまり恥ずかしいなどと感じていませんでした。金銭的にそんな余裕もなかったのでしょう。黙々と食べていました。

 しかし月に1度、カレーうどんを注文します。給料日の昼食です。何度かそういう事を繰り返していると、25日の給料日には大松食堂のおばちゃんが「今日はカレーうどんやね」と言ってくれます。そしてある時から、食堂のお客さんが驚く程、カレーうどんの丼に溢れんばかりの具とルーを入れてくれました。ニコニコしてスプーンも渡してくれます。その時の私のご飯だけの弁当は、カレーライスに変わり、食べ終わった後もカレーうどんがあるのです。18歳の食べ盛りの私には、たまらないサービスでした。このカレーうどんには、多くの栄養がありましたが、間違いなくビタミン愛がたっぷり入っていました。でも当時の私は単なるサービスだと思って、単純に喜んで食べていましたが、後年振り返ってみると、大松食堂さんの温情を感じ、涙がポタリです。今もこの文章を書きながら、思わず涙が出そうです。

大松食堂のご主人は厨房に入っていたのでお会いした事はありませんが、おばちゃんの顔は知っています。

「おじちゃん、おばちゃん、本当にありがとうございました。お蔭様で、こんなに大きな身体になりました。」

数年前、桃谷(JR大阪環状線桃谷駅)の近くに用事があり、息子と大松食堂を探し訪ねましたが、今は商業ビルが建ち、当時の面影はありません。私の会計事務所時代、40年前の思い出の1つです。

〜父親の会社倒産がなければ、こんな経験はしていなかった筈です。ありがたい経験です。〜

(次回に続く)

(次回に続く)

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