第99回  台湾でのアントニオツームー

1985年9月と1988年9月に新日本プロレスが「台湾遠征」で大会を開催しました。
35年以上にわたる遠い昔の話です。猪木との関係もあり、私も台湾遠征に帯同したことを今でも覚えています。40歳前後の私は選手と同じバスに乗り、各会場を移動した事も遠い昔の思い出話です。

2024年4月14日。新日本プロレスが何年かぶりに台北で大会を行いました。たまたま私は台湾案件で前日より台北にいましたので、事前に新日本プロレスに連絡して8枚のチケットを用意してもらいました。会場はライブハウスです。舞台にリングが設置され、リング4面のうち1面のみが会場席から見えるレイアウトでした。客席から舞台を見上げる感じですが、舞台の上に更にリングの高さもあり、かなり上を向いて見なくてはなりません。幸い、スクリーンがリングの真後ろにある為、どちらかと言えばスクリーンを見ている感じです。
私にとっては36年ぶりとなる台湾でのプロレス観戦です。さすがライブハウスが会場という事で音響は凄いです。会場ではほとんどが若い人達で、1つ1つの技に「おぉ~!」と反応してくれます。また、選手の名前を台湾人らしい発音で「コジマ~」と声援してくれます。よく聞くと「加油(チャーユー)」「加油(チャーユー)」との声も聞こえます。日本語で「頑張れ」「頑張れ」と言っている観客に私は少し感動しました。台湾人プロレスファンの皆さんは純粋なお客様達です。
日本の会場では「やってしまえ」的な威勢の良い声援はあっても、オリンピック競技の声援のような「頑張れ」「頑張れ」は、あまり聞いたことがありません。

私達は、結果的には試合を最後まで見ることなく会場を後にしました。私と一緒に観戦された方は、40代のミュージシャン以外は60代以上の「猪木世代」の人達でした。政府高官や大企業の経営者でしたので、観客席が思った以上に後ろ側であった事も多少影響したのかもしれません。
新しく社長に就任した棚橋選手には、事前に挨拶に行く事を伝えていました。
なにせ、そうそうたるメンバーであり、紹介する事が必ず今後のプラスになると思いましたが新日本プロレスに阻まれ、私も必要以上の説明をしませんでした。

観戦後、台北市内で食事会が開かれました。話は本日のプロレスより、30数年前の猪木の話で盛り上がりました。当時は体育館で開催され、満員の大会でした。スクリーンや音響設備は本日の比ではありません。ただ、リング上で戦っている「選手のみ」に皆は熱くなり、感動したものです。83歳の農機具販売の会長も観戦しましたが、流暢な日本語で遠い昔の猪木の話をしていました。台湾語で猪木を「ツームー」と呼びます。アントニオツームーは本当に素晴らしい、アントニオツームーは本日の選手よりも強い、などです。台湾人同士では、当然の事ながら台湾語での会話です。私は、言葉は分かりませんが「アントニオツームー」の言葉だけは聞き取れています。改めてプロレス観戦に招待して良かった、と思いました。猪木が蘇ったわけです。
約90分の食事時間中、「アントニオツームー」の名前と白酒の「乾杯」だけが飛び交っていました。

猪木は台湾の中にあっても生きています。
「猪木さん。台湾にも多くのファンの方がおられますよ」。
アントニオツームーは強いです。

次回、4月20日に掲載予定です。
(「天国の猪木へ」は不定期掲載です)

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