2015年の中国ビジネスについてのお話です。
今までの事を簡単にまとめてお話しします。
経済成長が進む中、人々の生活の豊かさと比例して「健康志向」が高まる事は、中国に限らず先進国のいずれもが辿ってきた道です。高齢化社会に突入した中国では、日本同様に「より元気なお年寄りでありたい」というニーズが根強く、一つの市場が出来上がると同時に歪みも生みました。十二分な知識を持たないシニア消費者が挙って健康食品を求め、またそんなシニア世代を標的として中国の健康食品販売会社は、時に無謀な販売をするようになり、その事が今回の大きな社会問題として取り上げられました。
欧愛水基の代理店の中にも健康食品を取り扱っている代理店が数多くあり、中には問題視されるような販売の仕方をする経営者もいて、「お年寄りに一年分の健康食品を販売する事は、いずれ問題になりますよ」と、直接何度となく忠告していた事がとうとう現実になりました。私は結果的によかったと思っています。
中国政府が行なう政策に「一罰百戒」があります。今回、テレビ・新聞等のメディアは逮捕者が出た事を大々的に報じました。更に中国政府は健康食品を取り扱っている全ての会社に対し、「健康食品販売の100日間停止」を言い渡しました。健康食品のみを取り扱っている会社は事実上「業務停止」です。日本では、特に悪質な会社に対して業務停止の処分を下す事があったとしても、業界全体に一律でそのような政策を打ち出す事はありませんが、これが中国共産党の政策です。
一方で中国国民の方も、中国共産党の一網打尽の政策をよく心得ています。「上に政策あれば、下に対策有り」とはよく言ったもので、これ程、中国人の逞しさを表現した言葉はないと思います。例え中国政府が厳しい政策を打ち出しても、現場ではそれに対して上手く潜り抜けるようなタフな対応をします。しかし今回の「健康食品ショック」はそう簡単に潜り抜けられそうもないというのが経営者達の声でした。「逮捕者が出た」事は、それ相応に衝撃を与えたようです。
幸いにも欧愛水基が取り扱っている「水関連商品」は「業務停止」の対象外なので各代理店は、改めて水関連商品に力を入れ始めました。この数年、メンテナンスが必要な水関連商品は遠避けられ、収益が上げやすい健康食品を中心に取り扱う代理店が多かった為、各代理店では慌てて「水関連商品を再び取り扱う」という現象が見られました。ところが、かつてはメンテナンス要員が存在していた代理店でも、数年のブランクはその経験者をも失っていたのです。そこで欧愛水基は改めて各代理店に商品勉強会やメンテナンス研修をしなければならない事態になりました。しかしながら広大な中国全土に点在する代理店を、1社1社訪問する事は人員的にもコスト的にもそう簡単に出来ません。さて、どうしたものか。
この問題を解決すべく思いついたアイディアが、「欧愛水基が訪問する」のではなく「欧愛水基の工場に来て貰う」というものでした。さて、そのような都合の良い事が出来るのか。
実は、中国の殆どの業界が採用している販促企画を導入する事で、そのアイディアは実現可能だという事が分かりました。その販促企画こそが「基地旅行」というものでした。
「基地旅行」とは、代理店が自社のお客様と旅行をするという販売促進企画です。この「基地旅行」は、健康食品業界は勿論の事、生命保険や損保保健等の保険業界や車のデイーラー、薬メーカー・一般食品メーカー等、あらゆる業界が採用していました。特にサービス業界では一種の流行になっているとの事でした。「基地旅行」と一言で言っても、その規模は大小あります。日帰り観光バス旅行もあれば、宿泊を伴う数日間の旅行もあり、中には豪華客船やジェット機を借り切っての海外観光旅行等もあります。この海外旅行が世界中で話題にもなりました。覚えておられるかもしれませんが、1000人以上の中国人がフランスに行ったといったニュースは日本でも報道されました。中国人の金満ぶりが話題になりました。
この現象は中国の高齢化社会と高度成長における経済競争の産物だと思います。
忙しい子供達が親の面倒が見られず、その結果、自分の親達に対し積極的に販促旅行に行く事を勧めている訳です。中には代理店に「次はいつ旅行がありますか?」と催促する位です。
この「基地旅行」のコースには単なる観光地に行くだけでなく企業訪問もあり、その企画を欧愛水基でも活用しようという話です。
私達の構想は「水の科学館」を設置し、商品説明が得意でない代理店に代わって私達メーカー社員が商品説明をするというものです。商品知識が乏しい代理店の問題を解決し、また私達が多くのコストをかける必要性がないので「一石二鳥」の案でした。
以上、ここまでが2月1日から3月20日までの6回で掲載した話です。
さて、「水の科学館」をどこに設置すべきか。
代理店の声を集めてみたところ、殆どの経営者から「工場敷地内に」という声が多く寄せられました。理由は明確で生産工場も見学させたいとの事です。日本でいうところの小学生が工場を訪問するような感じでしょうか。私達としても好都合で「工場と一体化」の方向で動くことになりました。
ここで問題になったのは、欧愛水基の工場はレンタル工場だという点です。
OSGが2003年に中国に進出する際、以前に知り合った台湾人経営者が所有している広大な敷地の中で是非活用して欲しいとの要望があり、それ以来、その敷地内の1棟を借りていました。その時の経緯は以前の「人プラ」でもお話した通りです。(第249回・第260回・第266回・第298回・第436回掲載)
「水の科学館」を実現するには最低でも1000㎡の広さが必要です。
こういった分野に精通している長喜の孫董事長に展示場構想を相談したのは、3月中頃の事でした。長喜の孫董事長とは、OSGが中国進出以来付き合っています。(第438回掲載)長喜は主に日系企業が中国進出においての日本人向けの住宅の仲介斡旋、また工場紹介から建設までを手掛けています。
ある程度の展示場の構想がまとまったところで、工場のオーナーと話をしました。
工場のオーナーとは、蔡&蘇夫婦の事。彼らは1989年30歳の時に台湾で起業し、その後2001年、彼らが42歳の時に中国へ渡り、間借り工場からスタートしたFCP社の事です。
広大な敷地に、場所がない訳ではありません。ただ15年の経緯が彼らの考え方に変化をもたらしていました。FCP社も15年の間に大きく成長しました。従業員も取扱製品も比較にならない位に企業が拡大しました。
現在の欧愛水基の工場内を改装して「水の科学館」を設置する事に問題は提示されませんでしたが、ここで問題になったのはOSGの看板が掲げられないという事でした。
「水の科学館」設置予定の工場棟の屋上に「OSG」の看板を掲げる事にFCP社は難色を示しました。15年前のFCP社であれば何も問題はなかったでしょう。FCP社から見れば欧愛水基はFCP社のお得意先です。金型から成型に至るまでをFCP社に発注しています。FCP社が中国に進出した時、数少ない取引先の中で欧愛水基の存在は売上に大きなシェアを占めていました。ところがこの15年の間にFCP社の売上は倍々ゲームのように拡大されました。
だからと言って私は過去の経緯を振りかざして交渉する気持ちにはなれませんでした。
成長したFCP社を作り上げた経営者の努力を理解できるからです。しかし何としても「水の科学館」の設置場所となる工場の屋上に「OSG」の看板が必要でした。広大な敷地には多くの棟があり、独立した私達の棟に「OSG」の看板を掲げる事はさほど問題はないと思っていましたが、蔡&蘇夫婦が快く引き受けてくれない事に対し、あまり強引にこの話を進める訳にはいきません。程なく、さらに別の問題が浮き彫りになりました。
【追記】
2015年2月頃、私の体に異変が生じました。
寝ていても首から右肩にかけて激痛が走るのです。かつて経験した「五十肩」の痛みとは違います。
2015年3月12日、この日は痛みの為に体を動かす事が億劫でたまりませんでした。
しかし足は問題なく動くので、そのままスケジュール変更することなく予定をこなしていました。
3月14日、予約していた歯医者に行ったのですが座っているだけでも首・肩周辺が痛くて我慢が出来ず、途中で治療を中断。スケジュールを空けられず、なかなか病院に行く事が出来ませんでした。
隔月第4火曜日の夜7時に開催されるボランティア団体の公益社団法人アジア協会アジア友の会の理事会に出席した折、理事に脳外科専門の先生がいましたので相談したところ、すぐに私の病院に来なさいと言われました。
それから2カ月後の6月にMRI検査を受け、病名が明らかになりました。
「後縦靭帯骨化症」という難病指定されている病だと告げられました。
実は診断される前からいろいろな方から「もしかすれば後縦靭帯骨化症ではないか」と言われていましたが、これがはっきりした訳です。
「右手指3本(中指・薬指・小指)が全く後ろに反らせない事で不便である。難病の後縦靭帯骨化症らしいとの事。これは神様が私にくれたギフトか。時々激痛が走り、不便ではあるが足は動くし、致命的な病気ではないのでここら辺りで折り合いをつければ〝神様からのギフト〟と思って治療をする日がくるだろう。最近テレビか雑誌で〝7本指のピアニスト西川悟平〟を知った。難病ジストニアとの事。後縦靭帯骨化症とは違うのかな。いずれにしろ、頑張っている人がいるので、私も頑張らなくてはならない」
そうこの日の日記に書いてあります。
病気発生から今年まで丸6年が過ぎましたが、その間に東京医科歯科大の先生にも診て貰い「医者の立場から言えば、手術をお勧めします。しかし高齢者なので生活上の不便を我慢されるなら手術をしないままでいきますか」と言われ、現在まで何とか持ちこたえています。
15年から6年過ぎた今も私はこの病気と付き合っています。私にとってこの「後縦靭帯骨化症」は「神様からのギフト」である事は変わりありません。人間多少のリスクは背負って人生を歩く方がいいものです。
(次回に続く)
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