第1回 「天国の猪木さん、届きましたか」

本日1月15日は私の76回目の誕生日を迎えます。数えで喜寿です。
この記念すべき日に「天国の猪木へ」第1回掲載される事に猪木の言葉を借りれば「全ての出来事は偶然でなく必然である」となるのでしょうか。

昨年10月1日、難病「全身性アミロイドーシス」でアントニオ猪木が自宅で亡くなりました。
79歳の生涯です。それから100日が過ぎても「猪木ロス」は途絶える事はありません。

30半ばの私と30後半の猪木が出会って40年になります。冒頭の話ではありませんが、猪木の言葉に「この世は全て偶然ではなく必然的な出来事である」との考えに同感し、2人でよくその事で話し合った事もありました。
40年前に新大阪発福岡行きの新幹線ホームで猪木と初めて出会いました。この時の出会いも必然的であり、それから40年後の2022年の出来事も必然的に決められていたのでしょうか。
挑み続けたアントニオ猪木は私にいろいろな意味での「喜怒哀楽の刺激」を与えてくれました。
それらの事は昨年10月10日から12月31日付「人生はプラス思考で歩きましょう!」のサイトに掲載されています。

さて昨年12月28日。両国国技館で7年振りの「INOKI BOM-BA-YE」が開催されました。
生前の猪木に「猪木元気工場」の髙橋社長が猪木に生きる勇気を与える為に「今年こそINOKI BOM-BA-YEをやりたい」の発言からこの大会は始まっています。亡くなった年に開催した事に深い意義があります。開催運営をされた巌流島の谷川氏には大変感謝しています。
両国国技館では猪木の写真等が飾られました。多くの観客が猪木の写真と並び記念写真を撮っています。私は試合の途中で猪木がいつもいる両国国技館地下にある「会長控室」に1人訪れました。 猪木がいつも座っている場所に私は座りました。猪木が生前の頃は多くの来客がこの部屋を訪ねてきました。人懐っこい笑顔が思い出されます。部屋には飲料水や差し入れのお菓子や果物がいつも溢れていました。その「会長控室」に主はいなく、空っぽな部屋です。INOKI BOM-BA-YEが場内に流れています。「猪木さん、会場の声が聞こえますか」とつぶやきました。

試合会場では多くの戦った選手達がリング上で猪木への感謝の思いを話します。
特に出場者の一人で顔見知りのジョシュ・ハートネット選手が試合後に猪木への思いと感謝のスピーチに私は胸が熱くなりました。隣の席で観戦していた実弟啓介さんも泣いています。
会場には新日本プロレスオーナーの木谷社長や新日本プロレス大張社長も観戦していました。
INOKI BOM-BA-YEとしては初めての出来事でしょう。更にK-1の創始者 石井館長やRIZINの榊原社長も観戦しています。私は総合格闘技の事はあまり詳しくはありませんが、往年のスター選手もたくさん駆けつけてくれました。
みんな「アントニオ猪木」が大好きです。アントニオ猪木にお世話にもなりました。
猪木の弟子・藤原喜明氏が「猪木さんの遺伝子は永遠です」と赤い闘魂タオルを首に掛け、「1・2・3、ダァー!」を観客と声を張り上げ、その声は両国国技館に響き渡りました。

それから3日後の大晦日にさいたまスーパーアリーナにて「RIZIN.40大会」が開催されました。
私は会場には行きませんでしたが、amebaのネット配信で観戦しました。
新日本プロレス所属時代に猪木の付き人を務めた、髙田延彦RIZINキャプテンがリングインし「アントニオ猪木がいなければ、あのPRIDEも、このRIZINという舞台も存在していなかった。猪木さんが全身全霊をかけ生み出したメッセージは、いつの間にか沢山の人の心の中へ根を張り、とてつもなく大きな影響として繋がり続けています。猪木さん、見ていてください。ここで戦う若きファイターたちは、猪木さんの灯した明かりの下で生きている。夢を追いかけている。もっと強くなると武者震いしている。どうぞ彼らの勇敢な戦い振りを見守り続けてください」と感謝と哀悼の言葉を述べ、なんとRIZINの会場で初の「1・2・3、ダァー!」がさいたまスーパーアリーナに響き渡りました。

2023年1月4日。
東京ドームにて新日本プロレス「アントニオ猪木追悼大会」が開催されました。私は15年振りに東京ドームにて新日本プロレスをリングサイドで観戦しました。隣の席の木谷オーナーに猪木追悼大会開催のお礼を改めて述べました。新日本プロレスの若い選手達がリング上で戦っています。
時代は変わり、価値観も変わり、プロレスのスタイルも変わったと思います。でも多くの若い女性ファンが猪木時代とは考えられない程観戦しています。「令和の新日本プロレス」は健在です。
この日のメーンイベントは新日本プロレスのトップスター オカダ・カズチカ選手でした。
激闘の末、勝利した後のオカダ・カズチカ選手のスピーチ。
「これだけお客さんが入って試合ができて本当に良かったです。猪木さん、僕たちの戦いは届きましたか?猪木さんがつくった新日の闘魂を受け継いで、100年、200年と新日が続くように盛り上げていきます」私は涙が止まりません。
「猪木さん。私達の戦いは届きましたか」にどどっと涙が流れてきました。40年以上、プロレスを観戦してこんなに涙を流しながら見たのは初めてです。
「せっかく声が出せるのにこのまま終われないでしょ、やりましょう!猪木さん、新日本プロレスをつくってくれてありがとうございました。いくぞ~、1・2・3、ダァー!」に2万6000人の観客全員も「1・2・3、ダァー!」と叫び、多くの観客が泣いていました。
そしてINOKI BOM-BA-YEが東京ドームの会場いっぱいに流れました。私の涙が止まりません。
猪木は多くの人に影響を与え、多くの人から愛されている事を改めて知りました。

関係者通路から帰る途中にオカダ・カズチカ選手とバッタリ会いました。
言葉に言い表せない程の感謝を述べました。帰宅後に改めてオカダ選手にメールを送り「猪木も喜んでいます」と発信しました。1時間後にオカダ選手から「猪木さんも喜んでもらえると言われて嬉しいです!まだまだ盛り上げていきますし、猪木さんの名を汚さないように新日本プロレスを続かせていきます!」と返ってきました。

猪木さん。あなたが50年前に創始した新日本プロレスは、若い選手達に間違いなく「闘魂」の2文字が次の世代につなげていますよ。天国の猪木さん、聞こえますか。

次回、1月20日「ガウンはどこに」を掲載する予定です。
(「天国の猪木へ」は不定期掲載です)

ご意見、ご感想は下記まで
support@osg-nandemonet.co.jp

ページトップへ