第2回 「ガウンはどこに」

話は昨年の2022年10月に戻ります。
葬儀告別式に参列するため日本に帰国した猪木の愛娘寛子さんがアメリカに戻る前、猪木の前マネジメント会社から「実はガウンは1着ある」との連絡が入りました。
寛子さんからその連絡を聞いた時、すぐ頭を過ったのは亡くなった日の事です。
猪木の元マネージャーの宇田川氏が亡くなった日に前マネジメント会社にガウンの確認をしました。それは猪木のご遺体にガウンを掛けてあげたいと宇田川氏が思ったのでしょう。しかしその時の返事が「ガウンはない」との事でした。もし「ある」と言ってくれれば通夜告別式にガウンを借りて猪木に掛けてあげられた訳です。猪木の闘う象徴のガウンです。猪木のご遺体にガウンを掛けてあげる事は本人も望んでいたと思います。
なのに、何故あの時「ガウンはない」と回答したのでしょうか。通夜告別式の棺の上にガウンを掛けてあげられるあの場面はもう二度と帰ってこないのです。写真にも映像にも残らない訳です。
ただただ悔やまれます。
告別式が終わってから何故そのような連絡をしてきたのでしょうか。その行為が分かりません。
それとも何か後ろめたさがあったのでしょうか。

彼女の話によると、「その1着」はある決められた日に千葉のある倉庫で渡すとの事でした。
「千葉まで取りに来い」との事ですが、その日は既に彼女は日本にはいません。そこで寛子さんの代理人が取りに行く事になりました。それにしても誠意のない話です。
千葉の倉庫にあるならそれを自ら出して東京で渡せばいい話です。何故、千葉までわざわざ行かないといけないのでしょうか。しかも「指定された日時に」です。不可解な話です。

寛子さんは「ガウンを受け取るまでは、代理人の弁護士先生も含めて湯川さんも動かないでほしい」との事でした。その理由は何か行動する事によって相手側の気持ちに変化が起こり「1着」のガウンも手に入らない可能性があるという彼女の危惧からの依頼でした。
いずれにしろ、猪木が持っていたガウンは近年で確認したのは6着あると宇田川氏の証言ですが、残り6着の内の1着が千葉の倉庫で受け渡しされるとの事でした。そんな葬儀が終わった後の「ガウンの行方」が、何故かしら彼女が10月20日過ぎにロスの自宅に帰る前に知らされた訳です。

11月24日「四十九日法要」が営まれた翌日、ロスにいる寛子さんに「四十九日法要」が無事に終わった事をLINEで報告しました。
その前に寛子さんから「ガウン」の写真入りメールが送られてきました。
最初「ガウンは、ない」との事でしたが、次に「千葉の倉庫に取りに来い」と言われた時は「ガウンは1着」との話でした。ところが受け取りに行ったガウンの写真は「3着」映っていました。
どうした事でしょうか。何があったのでしょうか。不可解でなりません。

そういえば猪木が死ぬ間際まで啓介さんに言っていた「あの絨毯」もどこに消えたのでしょうか。
6着の内、3着は戻りました。あとはどこに行ったのでしょうか。
いずれにしても寛子さんの日本の代理人弁護士が2023年に動き出します。
同時に猪木の3つのメッセージの3番目に私も動き出します。

次回、1月25日『「従四位」「旭日中綬章」授与』掲載予定です。
(「天国の猪木へ」は不定期掲載です)

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