第43回  「中華料理」

8月8日11時20分。JR新橋駅で猪木の実弟の啓介さんと待ち合わせをしました。
この日、元テレビ朝日のプロレス実況アナである舟橋慶一さんから食事の招待を受け、中華料理の老舗である「新橋亭」に啓介さんと一緒に向かいました。
舟橋さんとは、昨年、猪木が亡くなってから以降、お目にかかることになり、何度も「食事でも」とお声を掛けて頂いていましたが、やっとこの日に実現をしました。
この日は原悦生カメラマンも同席とのことで、原さんとは猪木のブロンズ像制作のアトリエで会った以来で楽しみにしていました。
食事は、舟橋さんの友人も含めて5人で円卓を囲みました。食事での会話は、当然主催者の舟橋さんのスピーチが中心です。私とは、9歳年上なので、85歳ですが全くの衰えは感じません。
ご本人は「少し耳が聞こえにくくなった」とのことで、それに対して全員が「昔から耳が遠くなることで、ますます長生きしますよ」と笑いを誘いました。

舟橋慶一元アナウンサーと原悦生カメラマンとの関係は、早稲田大学の先輩後輩の関係だということを、私はこの日に知りました。歳の差17年ですが、お二人は兄弟のようです。
この日の話題は、当然、猪木のことで盛り上がりましたが、特に1976年6月26日の格闘技世界一決定戦「アントニオ猪木vs.モハメド・アリ」の試合についてです。
ご承知のように、この時の実況中継したのが、舟橋慶一元アナウンサーです。それだけに、この時の秘話は聞くに値する話題は、凄いものがありました。その中の一つに、何故「アントニオ猪木vs.モハメド・アリ」戦が実現したのか、のくだりです。

巷で言われている話とは異なった内容でした。猪木・アリ戦に関する書籍は、私が知っているだけで数冊ありますが、そこに書かれてある内容と舟橋さんが話す内容は違います。
さらに、対戦相手に猪木が選ばれたいきさつは、驚愕する内容です。
全員が「それは本当ですか」と一瞬、食事をする箸も止まるぐらいの「真相」の話でした。
もちろん、舟橋さんがここで作り話をするわけはありません。とは言え、私としてはその内容を裏付けとなるエビデンスが欲しいものです。そこで、舟橋さんに確認したところ、「ある」とのことです。それは、当時、それに関わり合っていた方のエッセイにその経緯が書かれてある、とのことでした。そのエッセイは、ごく一部の方しか受け取っていません。もちろん、舟橋さんは持っています。ここで、その具体的なお話をすることは控えさせていただきます。

舟橋さん自身が知り得る「お宝の話」をここで披露するわけにはいきません。そこで私は「舟橋さんは是非とも、本を出版されてはどうですか。この話も取り上げるべきです」と歴史の証人の発言として記録すべきだと、強く迫りました。原カメラマンや啓介さんも同じ意見です。
ただ、ご本人は「私はアナウンサーだから、話すことはできるが書くことは苦手」とのことです。そこで私は「何も舟橋さんが書かなくても、ライターがいますので彼らに任せればいいのです」となり、ある条件で私が出版することを引き受けることになりました。この条件の内容は言えませんが、原カメラマンも「大賛成」とのことでした。

私は、食事会の後に会合があるため、最初はアルコールを少しだけ頂くことにしていましたが、話が進むにつれビールから紹興酒にうつりました。舟橋元アナもアルコールが入り、舌好調です。
私は次の会合に行くために、途中退席をすることになりました。

中華料理店を出たとき、汗がドッと出ました。私は、JR新橋駅に向かう時、ふと猪木と過去に何度となく中華料理を食べたことを急に思い出しました。特に、2010年8月に猪木と中国の河南省テレビ局の招待で少林寺を視察に行った時の話しです。
テレビ局が主催した中華料理の場面です。
そこでは、日本ではあまり見た事のない40人~50人程が一同に座る大円卓を囲んでの食事会の時です。私は猪木の横に座っていました。
中国の格闘技番組の名プロデューサーが中心となっての食事会です。ここで、60度以上の白酒(パイチュー)が出されました。この白酒で全員の乾杯で食事がスタートしました。
猪木は、この白酒で何度となく乾杯に応じていました。大円卓を囲んだ中国人スタッフも猪木の酒の強さに驚きながら、更に「乾杯」と白酒を猪木に向けます。猪木も笑顔でこれに受け付けます。
スーパースター「アントニオ猪木」は、60度の白酒にも負けません。
猪木への白酒攻勢は次々きます。

しかし、私はどこかで無理をしている猪木のことも知っています。でも猪木は、白酒での「乾杯!」を受け入れます。私もかなり酔いが回りました。
しこたま飲んだ時のことでした。
私は、隣の席の猪木に向かって白酒の入ったグラスを持ちながら「猪木さん、本日はご苦労様です。猪木さん、乾杯!」と言ったときの話しです。
白酒攻勢を笑顔で受け入れていた猪木は私に対しては全く違う様子です。
「猪木さん乾杯」に猪木は私に睨み返しました。「湯川はいうな」と言う睨み付けでした。

周りの中国人スタッフには、笑顔で飲み干していたのに「お前は言うな」という感じでしょう。その時私も酔っていましたが、心の中で大笑いしていました。

今でも静止画の様に睨み返して「お前は言うな」の顔をふっと思い出しました。
冷房が効いた電車の中で、私は1人ニヤッとしていました。
そしてもう一度猪木と白酒で乾杯して飲みたくなりました。

その時、先程の舟橋元アナの出版の話などすっかり忘れ、「猪木との中華料理の思い」に浸っていました。

いつも「猪木の勝ち」です。
舟橋元アナ、すみません。

次回、9月1日に掲載予定です。
(「天国の猪木へ」は不定期掲載です)

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