本日9月20日の18時に有楽町朝日ホールで映画「アントニオ猪木をさがして」の完成披露試写会が開催されます。その後、20時40分から朝日ホール内の朝日スクエア11階にて関係者の皆さんにお礼を兼ねた簡単なパーティーを行なう予定です。その事は次回に掲載します。
さて話は9月12日の「猪木一周忌法要及び記念碑除幕式」についてお話しします。ご承知のように一周忌法要やブロンズ像等、スポーツ紙やネットニュース等で大々的に取り上げて頂きました。
120名を超える参列者です。特に全日本プロレス・ノアの選手らが、団体の垣根を越えてのお参りには改めて「アントニオ猪木」とは全てのプロレスラーの憧れであったのだなと思いました。
それだけにスーパースター「アントニオ猪木」の名に恥じない事だけを当日は考えました。
例えば、法要も最高なものを、会食も最高なものがあれば、それを提供するようにしました。
連絡なくお参りされる方もいるかもしれないと、会食数も余分に準備しました。
また限りあるスタッフではありますが当日の進行で「猪木さんに恥をかかしてはならない」と前日の9月11日17時に猪木元気工場オフィスで準備の為の打ち合わせが行なわれました。
青木猪木元気工場社長以下、各役員や遺族からは猪木の実弟である啓介さんも参加。アントニオ小猪木氏やアントニオ猪木関西後援会から高島氏らにもお願いし、集まって頂きました。
翌日のスケジュールに合わせて誰がどのように対応するかなど、2時間ばかり話し合いました。
その時、10月1日、猪木の命日についての対応も話し合いました。
明日以降にネットニュース等で猪木の一周忌法要が終わりブロンズ像をはじめ記念碑等の写真がアップされるので恐らく10月1日の猪木の命日には日曜日も重なり、全国の多くのファンの方が来られるのではないかという事になりました。
そこでお参りして頂いた来訪者の「記帳」を用意し、受付をやろうではないかという事になりました。受付開始時間は、猪木が亡くなった時間に合わせる事になりました。
今から1年ほど前の10月1日の朝の出来事は生涯忘れないでしょう。
当時「天国の猪木へ」がなく、OSGの「人生はプラス思考で歩きましょう!」で猪木の事を掲載していました。下記は、第531回「運命の10月1日」の文中の一部を掲載します。
『7時2分。介護リーダーの江端さんから着信履歴がありました。
7時3分にコールバックしました。江端さんは数秒の沈黙の後「猪木さんが亡くなったようです」と短い返事がありました。最初は「亡くなったようです」の言葉に違和感を覚えましたが、医師の死亡確認を得ていない為かなと思いました。
私は心のどこかでいつかはこのような場面がある事を覚悟し、驚く事はしませんでした。
「亡くなったようです」の事実だけを受け止め「分かりました。東京に向かいます」と伝えました。江端さんからの電話から間もなく実弟啓介さんから連絡が入り、私はアメリカにいる猪木の愛娘寛子さんに連絡をするように伝えました。~略~』
当時のネットニュースでは7時40分となっているのは医師の確認の時間だと思います。
私達はこの7時40分を受付開始時間とし、10月1日總持寺(横浜・鶴見)にて7時40分から15時までをアントニオ猪木命日お参りの記帳受付時間とする事にしました。
尚、この時に「アントニオ猪木に国民栄誉賞を受賞させる会」の署名運動の資料を準備します。
10月末までを締切として、これが最後の署名運動となります。
次回、9月22日に掲載予定です。
(「天国の猪木へ」は不定期掲載です)
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