「元気な顔」の猪木の姿がスクリーンいっぱいに映っていました。一般の人が知っている最近の猪木の顔と言えば、どうしても病床で生気のない瘦せ細った顔です。世間を驚かせたのはYouTubeなどで、ありのままの現在の自分を世にさらけ出したあの顔です。それはそれで、猪木らしい迫力のある顔です。多くの方々がテレビで最後に見たのが、昨年の日テレ系「24時間テレビ・愛は地球を救う」で車椅子で登場してきた猪木の顔です。それだけに映画「アントニオ猪木をさがして」では、猪木の「元気な顔」が登場していました。そこに懐かしさもあり、いきなり「アントニオ猪木ワールド」に引き込まれる魅力ある猪木の表情ばかりでした。
見る人によってそれぞれ違うでしょうが、会場は元気な時代のアントニオ猪木に陶酔したのではないでしょうか。
試写会映画鑑賞を終え、ゲストのトークショーが終えた後、20時40分に映画関係者の皆さんに集まって頂き、簡単な打上げパーティーを開催しました。私から筒井プロデューサーにお願いして、関係者の皆様にお礼を述べたい場面を作って貰いました。
当初、参加予定ではなかった木谷オーナーも私の呼びかけで参加して貰いました。
神田伯山さんや藤原組長も参加して貰いました。
私は、進行役の筒井プロデューサーに、皆さんへ挨拶の機会を頂きました。
まずはこの数か月間、映画作りに頑張って頂いた事に対し、お礼を述べました。
挨拶の内容は、以下の通りです。
『病床にあった猪木に生きる希望を与える為に「映画を作る」事を猪木本人に伝えました。
猪木は嬉しそうな顔をしていました。映画タイトル「アントニオ猪木をさがして」も気に入っていました。
昨年の9月22日。ちょうど1年前の話です。私はここにおられる木谷新日本プロレスオーナーを訪ね、猪木の終身名誉会長就任と新日本プロレス創立50周年記念事業にアントニオ猪木の映画制作の決断に対し、お礼に伺いました。その時、10月10日の両国国技館で映画の発表を行ない、1月4日の東京ドームにて終身名誉会長就任の発表を行なう話になっていました。
その時、東京ドームの花道に猪木が車いすで登場するという演出に対し、木谷オーナーは「お神輿の方がいいのではないか」とのご提案を頂きました。
翌日の9月23日に私はその事を猪木に伝えました。この日の夜、猪木はお気に入りの焼き鳥を猪木元気工場の青木社長に買いに行って貰い、この時、ファンの方から頂いた日本酒を猪木本人は飲む事は出来なかったのですが、私にふるまってくれました。
その日から8日後の10月1日。猪木は息を引き取りました。生前、猪木は映画が出来る事を知っていました。
「人間は2度死ぬ」と言います。1度目は、実際に亡くなった時。2度目は、人々から忘れ去られた時だと言います。猪木にそのような事はないと思いますが、これからも猪木の事をよろしくお願いします』
うまく伝えられたかどうかは分かりませんが、挨拶させて頂きました。
その後、乾杯の音頭はアミューズの幹部の方がされました。
「映画が成功でありますように」の願いを込めての乾杯です。
そうです。「大成功でありますように」と、改めて思いました。10万人、50万人、100万人の人にこの映画を見て頂きたい、と試写会後に改めて思いました。多くの方が動員すれば当然興行収益も入るでしょう。しかし、それは結果であって目的ではありません。正直言って、私は興行収益その物に対して、元よりそのような感覚で映画を製作した気持ちは私にはありません。
とにかく多くの方々に見て頂きたい。スクリーンでカッコイイ猪木に会って貰いたい。
彼が如何に偉大に生きてきたかを、改めて映画「アントニオ猪木をさがして」で猪木の凄さを探して貰いたいと思いました。
打上げパーティーを終え、私はひとり会場から出ました。
試写会上映中、雨が降っていたのか、道路は濡れていました。ムッとするような湿気の多い夜でした。不快指数高レベルの蒸し暑さでしたが、不思議と不快さを感じませんでした。
それはたぶん「猪木との約束」をひとつ果たせたという気持ちが、そうさせていると思います。
新日本プロレスをはじめ、映画関係者の皆さん、本当にありがとうございました。
天国の猪木さん。1年前の9月23日の事は、私の中では鮮明に焼き付いています。
次回、9月24日に掲載予定です。
(「天国の猪木へ」は不定期掲載です)
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