10月15日朝、私はロサンゼルス在住の猪木寛子さんへLINEを送りました。
要点だけを掲載します。
『明日16日13時に私はサンタモニカの「ホテル●●●●」にいます。時間がとれるなら私に連絡ください。
スケジュールがあわなければ無理しないでください。
その時はロスの空の下から猪木さんに1周忌報告して帰国します。』
寛子さんの代理人である弁護士先生には、約1ヵ月前にロス訪問と6日前に16日に訪問する旨を伝えていました。
私のスケジュールの関係からどうしてもこの日しか時間が取れず、いわゆる「弾丸出張」です。
私の旅行鞄には猪木のお孫さんに渡す為に、
6月28日号No.2249の「週刊プロレス」2冊が入っています。
結果的には10月16日に面談は出来ませんでした。寛子さんは大変忙しく、以前に「病院を2ヶ所掛け持ちしている」と聞いた事があります。仕方ありません。私もLINEにて無理しないで下さい、と送っています。
帰国日の早朝、私はサンタモニカビーチに行きました。
以前に猪木の車で訪れた場所です。当時、猪木はサンタモニカに住んでいました。
この日の朝のサンタモニカの空はいつもの雲一つない真っ青な空ではなく、うっすらと空全体に靄の様なものがかかっていました。
この季節の朝夕が寒いのは、太陽の陽がささないのが原因かなぁと思いました。
公園のあちらこちらでホームレスの人たちが身体を丸めて寝ています。
私はベンチに座り「天国の猪木」に報告しました。
今回の渡米前に心に決めていた事は、全ての起こる事は「猪木の意向」としていました。
まずは猪木に最近の状況報告をしました。
「1周忌法要」の事。
「記念碑・ブロンズ像除幕式」の事。
「命日の墓参受付記帳」の事。
そして映画「アントニオ猪木をさがして」の事などです。
東京でも報告をしていますが、ロサンゼルスの空の下での報告の方がより通じると思ったからです。
今回は「寛子さん宅にある猪木のお位牌」の前で報告する事は出来ませんでしたが、これも「猪木の意向」と認識しました。
実は今回の訪問で寛子さんら家族に伝えたい話がありました。
内容はここでは控えますが、結果的に伝える事は出来ませんでした。
その事について、猪木への報告の結果は「時期尚早」と言う事でした。
「猪木さん、そうかも知れませんね。時期尚早かも知れませんね。そうします」と天国の猪木に向かって答えました。
うっすらと霞んでいた空は、いつの間にかロサンゼルス特有の真っ青な雲一つない空に変わっていました。
温度も少し上昇しホームレスの人たちも起き上がってきました!
太陽の陽が温かいです。
私は1時間以上「天国の猪木」へ報告していた様です。
時計を見ると空港に向かう時間でした。
東京・ロサンゼルス間は、行きは9時間30分、帰りは約11時間のフライトです。
76歳の私には少しだけきつく、しかも、慌ただしいロサンゼルス訪問でした。
ただ、気持ちは清々しさで充実していました。
それは猪木が亡くなって1年。
猪木のご遺族に頼まれて行った告別式から四十九日法要。
そして年末年始の「猪木追悼大会」。
3月の「お別れ会」。
6月の「3団体合同追悼大会」。
9月の「新しいお墓の建立から記念碑・ブロンズ像除幕式」。
10月の「命日法要と墓参受付記帳」「猪木の映画」と準備も含めて気の休まる時もなく駆け巡った1年間でした。特に準備に神経を使いました。
しかしそれもそろそろ「お役目解放」という事が、清々しい気持ちにさせているのかも知れません。
このあとの私の役目は「国民栄誉賞」運動と自分が生きている間だけは欠かさない毎月の「墓守り」だけです。
ロサンゼルス訪問も当分はないでしょう。
それにしても猪木の意向は「時期尚早」か!
次回、10月25日に掲載予定です。
(「天国の猪木へ」は不定期掲載です)
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