第66回  「アントニオ猪木を語り継ぐスペシャル・トーク・ヴァリュー」

11月23日(木・祝)。私は9時30分に第1ホテル両国に到着しました。この日は元テレ朝アナウンサーの舟橋慶一さんが中心となって開催している「猪木を語る会」のゲスト出演です。
タイトルは「アントニオ猪木を語り継ぐスペシャル・トーク・ヴァリュー」でした。

元々この日のスケジュールは、9月に大阪での面談が既に数件決まっていました。
前回(第59回・10月16日掲載)にも話しましたが、実はこの日の「出演依頼」は本来なら書面かメールで受けるのですが「口頭」での伝言であったらしく「言った、聞いていない」では大人気なく思い、既に発表もされているので、まずは調整をして結果的には東京からリモートミーティングで済まし、リモートミーティングできない方には会場に来てもらうことで対応しました。

そんな中での第1ホテル両国への到着です。
事前に私の出番は10時30分から、と言われていましたが、とりあえず会場に到着したことを舟橋さんに伝え、会場近くでリモートミーティングを1件こなしました。
そのため、原カメラマンの「アントニオ猪木のいない日々」を拝聴することはできませんでした。
出番が近くなったので会場に入ると、映画「アントニオ猪木をさがして」の筒井プロデューサーがお話をしていました。プロデューサーらしく、お話の後に映画の「映像」が映し出されました。猪木の「映像」が会場に流れると自然とテンションが上がります。会場は80人ぐらいの参加者だったでしょうか。全ての方が猪木信者だと思います。ありがたいことです。

さて、私の出番です。
私は司会進行の方に、過分なまでの紹介を受けて演壇に上がりました。
実は、この時期に私が「猪木を語る」事は、内容によって思わぬところで波紋が生じかねないので 当たり障りのない話で終わろうと当初より決めていました。この1年間、出版社等から出版の依頼を受けたり、取材の依頼もありましたが、セミナーを含めて全てお断りしていました。舟橋さんのこの会の依頼も今まではお断りしていました。今回はミスから生じた出演です。

話の内容は「私と猪木との出逢い」について話しました。
もう40年前の事ですが、今でもはっきりと覚えています。私が30代半ば、猪木が30代後半でした。久しぶりに「今、貧乏!将来、希望‼」の話が出ました。
話す時間は事前に25分と言われていましたが、5分程余ったのではないでしょうか。
最後に「猪木の墓守りは、私が生きている限り責任を持ってやります。子供にも伝えています」で締めくくりました。司会者の方が「ここでトイレタイム」と言われました。

控室に戻ると、藤波辰爾・木村健悟・北澤幹之ら各氏が次の出番で控えていました。舟橋慶一さんとのトークショーで「若き日の群像~アントニオ猪木と歩んだ日々~」とスケジュール表に書かれてありました。藤波辰爾選手や木村健悟区議会議員と少し雑談をしました。40年前からの知り合いです。彼らのトークショーの後に、猪木啓介さんの「兄・寛至が逝って一年余」で第1部が終わることもスケジュール表に書いてありました。せっかく来たので拝聴したいと思いましたが、次のお客様とのアポがあり、会場1階のレストランに急いで移動しました。だから、彼らの話は残念ながら聴けませんでした。

その僅かな時間の合間に、私が話した「出逢い」から「亡くなった後の墓守り」の間の話を繰り返し思い出しました。改めて、40年前に「猪木との出逢い」があり、まさか「アントニオ猪木の生涯」を閉じる直前まで私が立ち会うなど、誰が想像したでしょうか。

宿命の神様がいるならば「猪木との出逢い」と「40年後の出来事」は分かっていたのでしょうか。

天国の猪木さん。40年前の事を覚えていますか。
聞こえてきそうです「知らねえよ」。

次回、11月27日に掲載予定です。
(「天国の猪木へ」は不定期掲載です)

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