第77回  猪木聖地巡礼

お墓参りの後、總持寺の事務所に寄って挨拶をし、お寺を後にしました。この1年間どれほどこの広大な總持寺に通ったのか、と思いました。
啓介さんが「兄貴が生まれた家を見ますか」と言ったので、「実家はまだあるの」と尋ねました。坂を上った実家の跡地は、既に実家は取り壊し、他の家があるとの事でした。啓介さんにとっても何十年振りになります。車の中から、ここからあそこまでが実家でした、と教えてくれました。10軒以上の家が建っていました。ここの家の人達は、元々アントニオ猪木が生誕した実家だと知っているのだろうか、と思いながらその前を通りました。啓介さんの話は続きます。「ここに実家が経営していた〝ときわ幼稚園″もあったんです」「冬には雪が降り、よく兄貴と滑ったものです」との事でした。おそらく、坂を利用しての雪遊びだったのでしょう。
「兄貴が行った小学校と中学校を行きますか」と啓介さんが言ったので、私は「猪木聖地巡礼の旅やな」と言って、次のスケジュールがあるので「次回」となりました。

実は、私のスケジュールの中にどうしても行きたいところがありました。2023年の年越しそばは、可能であれば猪木が通った初台の「かわしま」で食べたいな、と思っていました。「かわしま」の蕎麦を最初に食べたのは、お店ではありません。猪木の白金台のタワーマンションの部屋でいただいたのが最初です。
猪木が闘病生活をしていたので、店主夫婦にわざわざ部屋へ来てもらい、作っていただいた時に初めていただきました。私はその時の「お蕎麦ランチ」にギリギリ駆け付け、2杯をいただきました。そして、3杯目の「おかわり」を言った時、奥様が「3杯目はお店で」と言われたので、翌日3杯目を食べに行きました。(この詳細は「人生はプラス思考で歩きましょう!」にて掲載。2022年11月25日付 第527回「8月2日、猪木来る」)
その初台にあるお蕎麦屋「かわしま」に向かいました。次のスケジュールまで、あまり余裕がありません。しかし、年越しそばぐらいは食べられます。啓介さんにカーナビを見て急いでもらいました。ところがお店は閉まっていました。「年越しそば」稼ぎ時にも関わらず、お店は開いていません。お昼の休憩かなと思い、通り過ぎたお店を少しバックし、私は車から降りました。すると、中から「かわしま」のご夫婦が私を見て「あら」と言われたので、「猪木さんのお墓参りの帰りです。お休みですか」と尋ねました。ご主人が首から包帯で腕を吊って「いや、骨折したのでお店を休んでいます」との事でした。私は「せっかく年越しそばを食べに来たのに」と伝えると、ご主人は「猪木会長ならどんな事をしても作りますよ」と言われ、納得しました。

「猪木さん。もう年越しそばは食べないんですね」

次回、1月15日に掲載予定です。
(「天国の猪木へ」は不定期掲載です)

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