1月15日。かなり早い時間に藤原喜明組長からメールが届いていました。
私の誕生日に対するメッセージです。私はお礼と總持寺の節分豆まきのメドがついたことを報告し、もし来年参加が可能であればよろしくお願いします、と返信しました。
藤原組長からは「押忍!」との一言だけの返事が来たので、私は「死ぬまで生きたる!押忍」と返しました。すると、藤原組長から「おれは死んでも生き返る!!!!!」と返事が来たので、私は「参りました」と返しました。
77回目の誕生日を迎える私は、前日夜遅くに空港に着きました。この日も早朝より埼玉に向かう為、睡眠時間は僅かでした。そんなバタバタした中での藤原組長とのメールのやり取りです。車中にて改めて藤原組長から来たメールを見ていました。
私と猪木と藤原組長。猪木が元気な時、バカな話をしてお酒を飲んだ事が数々ありました。
「おれは死んでも生き返る」のメールを見ながら、本来猪木もそうすべき男です。
猪木が死ぬ、なんてイメージは全くありませんでした。病床に臥せっていても「猪木の死」を思った事はありませんでした。猪木なら回復するのではないか、と思っていました。
「おれは死んでも生き返る」こそ、アントニオ猪木です。この事を何とか実現できないものか、と誕生日のこの日、仕事の合間合間に考えさせられる言葉でした。
この日は多くの方から誕生日メッセージをいただきました。そう言えば、2月20日は猪木の誕生日です。勿論、1度たりとも猪木に誕生日メッセージなど送ったことはありません。
藤原組長から知った「おれは死んでも生き返る」を何とか猪木に届けたいものです。
「猪木さん。猪木さんなら出来るのではないですか」
この日の誕生日メッセージのメールの最後は、オカダ・カズチカ選手でした。
【追記】
この数年、NOAH選手及びスタッフの皆さんから誕生日プレゼントをいただき、いつも恐縮しています。私のような年齢になると、物欲は全くなくなります。OSGでも全社員から誕生日メッセージとプレゼントをいただいていましたが、10年ほど前からプレゼントはもういい、とお願いしました。昨年にNOAHの皆さんにお断りしておけばよかったのですが、「もうプレゼントはいいです」「気持ちだけで十分嬉しいです」とお伝えしました。
そう言えば、猪木の誕生日パーティーに多くの人がプレゼントを持ってきますが、私は1度も渡したことがありません。私1人が誕生日プレゼントを持参していなくて何か気まずい顔をしていたのか、その時、猪木が私に気を遣ってくれた時がありました。
全ては懐かしい思い出話です。
次回、2月1日に掲載予定です。
(「天国の猪木へ」は不定期掲載です)
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