2月3日。猪木が眠る總持寺で節分追儺(ついな)式が行われました。私は仕事の関係上、どうしても現場に行けなかったのですが、猪木元気工場の役員でアントニオ猪木の元マネージャーである宇田川氏が立ち会ってくれました。
總持寺からの急なお話で私自身も慌てましたが、既報通り佐々木健介・北斗晶ご夫妻やアントキの猪木さん、アントニオ小猪木さんらが急遽駆け付けてくれました。特に佐々木健介・北斗晶ご夫妻は、この日スケジュールが入っているにも関わらず調整していただいた事で頭の下がる思いです。ネットニュース等では健介さんが「ここには猪木さんのお墓があります。能登半島の皆さんに元気が届くように1・2・3ダァー!」と豆まきをした、と書かれてありました。
猪木の代わりに、能登半島地震の被災者の方を思いやりながらの「1・2・3ダァー!」であったと思います。
もし猪木が生きていたら、間違いなく能登半島の被災地に入り「1・2・3ダァー!」をしているだろう、と思いを馳せました。
私から猪木への、東日本大震災の被災地にミネラルウォーター3万リットル等を持って行こう、との呼び掛けにすぐ対応してくれました。ただ、訪問前に「“元気ですかー!”と、いつものように声をかけていいものか・・・」と本人は非常に考え込んでいました。ところが、最初に訪問した避難所で市役所の方が出迎えに来られた時、猪木は少し控えめな声で「元気ですかー!」と言ったところ、市役所の方は明るく反応されました。それを見た瞬間、猪木の独特な勘で「これはイケる!」と思い、避難所に入っていつもの大きな声で「元気ですかー!」と呼び掛けました。
その一つ一つの場面が、静止画のように思い出されます。今から13年前の2011年4月5日の話です。猪木も元気でした。
そう思うと、涙がこぼれてきます。猪木さん、元気ですか。
次回、2月9日に掲載予定です。
(「天国の猪木へ」は不定期掲載です)
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