2日前の3月7日朝。
元新日本プロレスのトップ選手であったオカダ・カズチカ選手と以前より「上海で誕生日」の約束「第65回:オカダ・カズチカ選手に託す(2023年11月15日掲載)」がありました。毎月上海に行っている私ですが、中々スケジュールが取れなくてやっと3月末なら1日取れる事になり「今月末、上海に来れますか」とラインをしたところ、「今、アメリカにいてまもなくAEWデビューします」と返ってきました。近々帰国の際に連絡するとの内容でした。
「まもなく」と書かれてあったので未発表と思い、私の知り合いのオカダ選手ファンを含めて誰にもこのニュースは伝えませんでした。5時間後にネットニュースで「オカダ選手AEWデビュー」の記事が流れました。
オカダ選手が新日本プロレスを退団してフリーの立場で、確か2月11日大阪府立体育会館大会に出場したと思います。その前日の10日にオカダ選手と大阪のステーキハウスで食事をしました。肉500グラムと赤ワインです。時節柄、「WWEかAEWのいずれかに入団」を聞きたいところですが、彼も言うはずがなく、野暮な質問はしませんでした。また、同時期に「なんとかスタイル」の話題もあり、その事に対して自然と話が出たところ、オカダ選手が言葉を遮り「低次元な話は止めましょう。今日はアントニオ猪木の闘魂論について話しましょう」と諭されました。オカダ選手の言う通り野暮な話です。「猪木の闘魂論」やアメリカでの生活について、2時間半ばかり費やしました。話の内容はオカダ選手の事もあり、ここでは控えさせてもらいます。
店を出た後、彼の宿泊先であるホテル日航大阪まで御堂筋を2人で歩きました。ホテル日航大阪は猪木が大阪に来た時の定宿の1つです。同ホテルの2階にメインバー「夜間飛行」があり、ここで何十回と馬鹿な話をしながら猪木とお酒を飲んだものです。お互い若かったので、それなりの量を飲みました。思い出のホテル日航大阪前でオカダ選手と別れました。私が若ければ、もう数軒回るところでしたが、そういうわけにもいきません。
私がオカダ選手を意識したのは、新日本プロレス時代にリングで「猪木」の名前を叫んだという噂を聞いた事です。
当時の事をネットで調べると『2020年2月2日、新日本プロレス札幌大会のメインイベント終了後、オカダはマイクを握ると「僕が今、気になっている人のことを言わせてください・・・」と語り始め、「アントニオ猪木――ッ!」と絶叫。新日本内で長らくタブー視されていた感もあった「猪木」の名を口にしたことで、場内は騒然となった。』と書かれてあります。亡くなる2年と8か月前の出来事です。この事は私にとって猪木を「新日本プロレス終身名誉会長」にして、新日本プロレスへ戻すきっかけになった1つです。それだけに、オカダ選手には特別な思いがあります。
新日本プロレスを創設したアントニオ猪木。その新日本プロレスに育てられたスター選手、オカダ・カズチカ選手。今回のAEW入団を天国の猪木はどのように思っているのでしょうか。
猪木さん。猪木さんの遺伝子は脈々と引き継がれていますよ。
【追記】
義務教育を終えて、プロレス界に入団した選手で私が何度も食事をしているプロレスラーは、アントニオ猪木、藤波辰爾、船木誠勝、オカダ・カズチカ、そして中嶋勝彦。
彼らは、プロレスラーを天職として生まれてきた人材だと私は思っています。
そう言えば、猪木は義務教育すら出てなかったのです。
闘病の時、2つの表彰状をもらいたい、という話で盛り上がった事があります。それは、猪木の自慢の歯の話題です。以前にも掲載しましたが、80歳に20本以上の歯があれば表彰される「8020(ハチマルニイマル)運動」を表彰されたい。そして、義務教育を終了した修了証書がほしい、と。中学も卒業をしていないのに国会議員になれたのは凄い、とその時の話は続きました。
次回、3月10日に掲載予定です。
(「天国の猪木へ」は不定期掲載です)
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