久しぶりの猪木のお墓参りでした。今回は猪木の姪で、啓介さんの次女とそのお子さんの4人での墓参でした。私は、猪木の慰霊塔の前で猪木に3つの報告をしました。
1つ目が京王百貨店及び電鉄でのイベントが成功裏に終わった事への報告です。
2つ目が「AI猪木」の報告です。何としても「大阪・関西万博」に登場したいものです。
3つ目が本日お話する内容です。
「第102回:猪木のDNA中国で(5月5日掲載)」に掲載した内容になります。
4月20日に中国人初のWWE所属プロレスラー王彬が若い選手2人を連れて、私に会いに来ました。その時に「猪木会長に影響を受け、また育てられた中国人レスラーは中国に多くいます。今年10月の猪木会長の三回忌に、中国で猪木会長を偲んでの興行を何とかやれないか」との話でした。
あれから2か月が経ちました。6月25日に私が上海にいるので、元IGFの中国人レスラー3人が訪ねてきました。王彬はオンラインでの参加です。話の内容は、2か月前の4月20日の話の続きです。ただ、共産党支配の中国では、1000人を超えると当局に大会開催を届けなければなりません。届けても、受け入れてくれる保証はありません。
幸い、5月27日にソウルで4年半ぶりの日中韓首脳会談が開催されました。
ご承知のように、3か国の意見の隔たりが大きく合意点が見出しにくい安全保障問題よりも、より協調が容易な経済面や文化面での協力強化が打ち出されたのは、ニュース等でも発表済です。
首脳会談では人的交流等が決められ、3か国の「未来志向」の協力が前面に打ち出されました。その中で、エンターテイメント等を積極的に行う、との事は彼らにとって明るいニュースです。
本来、猪木が生きていたなら、猪木は間違いなく中国政府のトップと直談判していたでしょう。
また、日本のプロレス業界も少し変化があります。
各団体による「日本プロレスリング連盟(UJPW)」を設立し、猪木が設立した新日本プロレスでは「アジア太平洋プロレス連盟」を発表しています。よって、この話は新日本プロレスが前面に出て実現する事により「アジア太平洋プロレス連盟」構想が具体化するわけです。
そのような意味では、環境的にも以前よりも開催の条件が揃ってきました。
かつて猪木が2008年の北京オリンピック大会終了後に、私に「中国でプロレスを広めたい」というところからIGF上海道場等が設立されました。その時に猪木にあこがれ、プロレスラーを夢見た中国人の若者が上海道場の門を叩いたわけです。その彼らから「猪木さんの精神を引き継いで自分達は頑張っている。天国の猪木さんに自分達の成長を見てもらいたい」といった話は、私の気持ちを揺さぶります。改めて、私は彼らとその実現に向かって約束をしました。
その事を猪木の慰霊塔の前で報告しました。
「猪木さん。猪木のDNAは、間違いなく中国の若者に引き継がれています。」
彼らの夢の実現は「猪木の夢」の実現を続きへと導いていきます。
それにしても「猪木さん。あなたは凄いです」
猪木はもういません。でも、猪木は生きています。
次回、7月10日に掲載予定です。
(「天国の猪木へ」は不定期掲載です)
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