海外出張のため、前回の「第113回 この道を行けばどうなるものか(7月10日掲載)」から15日間空けての掲載となります。
7月10日午後。
私は、海外出張前に新日本プロレスの菅林会長と面談する事になりました。
猪木が16年前の北京オリンピック終了後「中国でプロレスを広める」と言った事が発端となり、紆余曲折がありましたが上海で「猪木IGF道場」が設立されました。その時に集まった中国の若者達がいます。当時彼らは、新日本プロレスのリングには上がることはできません。理由は猪木と新日本プロレスとの関係があったからです。その為、IGFのリングを中心に、NOAHさんをはじめ、他団体の皆さんにも大変お世話になりました。しかし、最初は猪木のプロレスに憧れて集まったわけです。その中には、WWEに入団した王彬選手もいますが、猪木の存在抜きにこの実現はありませんでした。ちなみに、王彬選手は猪木のお別れ会には参列できませんでしたが、一周忌法要及びブロンズ像・記念碑の除幕式には中国から駆け付けてくれました。
本来なら、中国の若者達も一周忌法要ブロンズ像・記念碑の除幕式にも出たかったわけですが、経済的にできませんでした。そんな彼らが「自分達の成長を天国の猪木会長に見てもらいたい」という理由から中国でプロレスを開催する、という話は以前お伝えました。純粋な気持ちです。
今回の彼らの思いについて、新日本プロレスの協力を得て実現する為の面談です。この話だけは他団体に協力を得る話ではありません。新日本プロレス以外には実現できない内容です。新日本プロレスの終身名誉会長に猪木が就任し、新日本プロレス50周年記念事業として映画「アントニオ猪木をさがして」も実現しました。「お別れ会」も新日本プロレスが共同開催してくれました。今なら、新日本プロレスが前面に出て協力できる話です。勿論、新日本プロレスにも色々な諸事情があり、簡単に事が進むとは私も思っていません。
とは言え、この話は新日本プロレスの創始者であるアントニオ猪木の「中国進出」の夢を果たす事だけではなく、もしかすれば新日本プロレスの中国進出のきっかけになるのではないか、と思います。ご承知のように、猪木の考えは常に「1000歩先」です。猪木の「中国でプロレスを広める」という発想が、将来の新日本プロレスの道しるべになっているかもしれません。
ここでの私と菅林会長との面談の内容は控えますが、菅林会長自身が上海に行き、若者達と面談する事が決まった事だけはお伝えします。大きな第一歩です。
数日後、彼らと上海で面談しますが、それは次回に報告したいと思います。
さて、話は変わりますが、菅林会長と面談後、2人でカフェのテラスでコーヒーを飲んでいました。すると、道路側にいた一人の男性が私たちを見て、少し頭を下げました。私は菅林会長の知り合いであると思い、菅林会長は私の知り合いだと思っていました。2人が帰ろうとした時、その男性は菅林会長の前に行き、握手を求めました。菅林会長は既に新日本プロレスの顔です。
私はその男性のスマホを受け取り「記念写真を撮りましょう」と言いました。
猪木は色々なところで色々な出会いを作っていると思いました。
猪木はもういません。でも、猪木は生きています。
次回、8月1日に掲載予定です。
(「天国の猪木へ」は不定期掲載です)
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