2年前の真夏の出来事から、昨年の8月1日も今年の8月1日も特別な思いがあります。
この「天国の猪木へ」を掲載するきっかけにも繋がります。
2022年8月1日。私は大阪から金沢へ日帰り出張をしていました。夕方16時発のサンダーバードに乗りながら、私が急遽準備した白金台のタワーマンションにいよいよ明日猪木が引っ越しする日だな、と思った事は今も静止画のように覚えています。猪木がいたアパートで「ここから出してほしい」と言われて数か月も経ったわけです。「数か月早く脱出が出来たならば」の人生のたらればを思えば、歯がゆい気持ちがあります。数か月早く引き取っていれば、もう少し長生きしたのではないか、と悔やむ事ばかりです。当時の猪木の取り巻き連中が最後の最後まで嫌がらせをし、引っ越しを引き延ばしていました。この時、正直担当の弁護士にも腹を立てていました。
曖昧な話をする、明確な態度を示さない、本心は責任を取りたくない、という気持ちが見え見えでした。それに対し、猪木の取り巻き連中がつけあがった事も事実です。余程腹の虫が収まらなかったのか、私の日記に「・・本当に無責任な弁護士達ばかりだ」と書きなぐりしています。
いずれにしても、「2022年8月2日」に猪木は白金台へ引っ越してきました。
『私は仕事の関係で猪木宅に訪れたのは、6日後の8月8日16時でした。』(人生はプラス思考で歩きましょう!「第527回:8月2日、猪木来る」 2022年11月25日掲載)と掲載しています。
「2022年8月2日」から2年が経ちました。この2年間、私の人生に「猪木」が濃密に入ってきました。2年後に「中国に残してきた猪木のDNA達が上海で猪木の追悼大会をしたい」というのは想像外の出来事です。猪木語録「一寸先はハプニング」が人生の連続であり、そこに悩みと刺激と面白さも同居しています。猪木によって踊らされた2年間でもあります。
2024年7月16日15時。
私は上海で、猪木のDNA達とミーティングをしました。6日前の菅林会長面談の報告をし、彼らからも企画書が提出されました。企画書はミーティングの席上でそのまま菅林会長にも転送しました。いずれにしても、具体的な話は菅林会長の訪中を待って決める事になりました。私が「会場はどの程度の広さで、どのエリアにあるのか」と質問し、会場がここから1時間以内にあると知ると、私のせっかちな性格から「すぐ見に行こう」となりました。
会場に到着すると女性シンガーのリハーサル中でした。日本人もよく使っている、との事です。
私は会場の写真を撮り、その場で菅林会長に送りました。王彬が広州から上海に移動する飛行機が遅れ、会場近くで会う事になりました。もう夕刻なので、食事をしながら4名の若いレスラー達と「猪木」について話しました。その時、「上海大会もしたいが、香港でもできないだろうか」と提案がありました。猪木は、上海は勿論の事、香港でも有名人です。私は「新日本プロレス次第だが、可能ならやろう」と言いました。本来ならこの話に盛り上がるところでしたが、そこには現実的な問題を抱えていました。それは費用の問題です。上海大会でも危ういギリギリの予算であり、下手すれば彼らが借金を背負わなくてはならない事が分かりました。それでも彼らはやる予定でした。その話を聞いて、私も引き下がる事はできません。
猪木の事を思い、今回の企画を提案してくれた彼らにも恩義があります。私は「会場費は心配ない。私が責任を持って会場費用を負担する」と宣言し、全員が笑顔になりました。「湯川会長が会場費を本当に負担してくれるのですか」と確認をされ、辛い四川料理と白酒で乾杯をしました。
2年前の夏。そして今年の夏。常に猪木が私の横にいます。「負担しろ」と猪木が言っています。
猪木はもういません。しかしみんなの中に猪木はいます。
次回、8月5日に掲載予定です。
(「天国の猪木へ」は不定期掲載です)
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