やはり、長期の海外出張で「天国の猪木へ」の掲載がかなり空きました。前回、「次回は8月10日掲載予定」となっていましたが、そこから更に10日間も空きました。実は、8月10日に「猪木元気工場」の役員連絡会議(8月6日)の内容を掲載する予定でした。この役員連絡会議には猪木の実弟である啓介さんも参加してもらいました。猪木の三回忌の日時について話がされ、マスコミへのリリースの仕方や参加人数等も決まりました。
それにしても、早くも三回忌です。
8月9日。私は上海で、猪木が夢見た「中国でプロレスを」を継承する上海猪木道場の若きプロレスラー達とミーティングをしました。同時に、今回は中国人経営者も参加してもらいました。
その中国人経営者に今までの経緯を説明しました。
- ① 今から16年前の北京オリンピック終了後、猪木が言った「中国でプロレスを広めたい」との言葉が事の始まりです。
- ② 猪木も中国に何度も来ました。2012年、上海で猪木主催のプロレス大会も行いました。その時、観客の一人に「王彬」がいました。大会翌日に私と王彬が面談をし、色々ありましたがジムのインストラクターをしていた王彬が「プロレスラー」を目指す為に来日しました。猪木の中国におけるDNA継承者の第1号です。彼の日本での生活はNHKにも取り上げられました。当時はIGFの練習生です。その後、IGFリングを経て、世界最大のプロレス興行団体WWEのオーディションにも受かりました。中国人初のWWE所属選手です。この王彬から多くの若き中国人レスラーが誕生しました。今日はその彼らと会っているわけです。
- ③ 突然の猪木の死。猪木にあこがれた彼らは経済的事情もあって、お別れ会やブロンズ像・記念碑の除幕式に参加できませんでした。王彬だけが参加をしました。
- ④ 今回、猪木の三回忌を迎えるにあたり、なんとか自分達の成長を天国の猪木に届けたい、との事で「猪木追悼上海大会(仮称)」を12月に開催する事になりました。「新日本プロレス」の協力を彼らが必要としました。
- ⑤ 猪木が設立した「新日本プロレス」菅林会長が9月に訪中し、彼らと直接の面談が決まった事、あわせて、中国メディアにも記者発表する事。
以上5点を中国人経営者に説明しました。
彼は非常に感動しました。中国人としても、猪木の思いが実現する事を望んでいる、と言いました。そこで私は、日系企業の経営者にも知人が多い、この中国人経営者に「菅林会長が訪中する事で日系企業の社長さん達も集めてもらえないか」と依頼し、「猪木追悼上海大会(仮称)」の実行委員長もあわせてお願いしました。これを彼は、快く引き受けてくれました。
彼は「実はプロレスはあまり知らないが、しかしアントニオ猪木の名前は知っている」と言ってくれました。今回の全ての出来事は「天国の猪木」がしているのです。
次回、8月25日に掲載予定です。
(「天国の猪木へ」は不定期掲載です)
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