長期の海外出張から帰ってきました。
この間に、上海での猪木の「追想大会」開催がネットでアップされているのを知り、安心しました。既に読まれた方もいると思いますが、東スポがアップした記事を掲載します。
タイトルは「12月14日に中国・上海で『アントニオ猪木記念大会』開催 新日本プロレスとIGFにアジアの団体が協力」でした。
「2022年10月1日に死去したプロレス界のスーパースター、アントニオ猪木さん(享年79)の名前を冠した『アントニオ猪木記念大会』が12月14日に中国・上海で開催されることが発表された。
大会開催に関する記者会見は今月11日に現地で行われた。日本からはIGFと新日本プロレスが参加し、協力団体として中国のプロレス団体「INFIN PRO WRESTLING」、DFW、香港の団体HKWFも顔を揃えた。
新日本の菅林直樹会長は「この大会に参加できることを光栄に思っています。新日本プロレスから参加する選手は精いっぱい戦いますので、上海のプロレスファンの方は楽しみにしていてください」とコメント。大会の詳細については後日発表される見込みだ。」
私は、9月8日の「猪木三回忌法要」を終えて、10日に羽田空港で新日本プロレスの菅林会長とIGFの宇田川氏と合流し、上海に入りました。猪木が設立した上海道場の若き練習生達が迎えに来ていました。その後、大会開催となる会場「上海瑞虹天地魔登天空劇場」に下見に行きました。
翌日14時に試合会場の3階別室で記者会見が行われました。1階の会場には大きなスクリーンに猪木の映像が流れていました。試合映像もあれば、政治家猪木の映像もあります。
記者会見の席上には私のほか、菅林会長・宇田川氏・王彬・必文(香港)・周(主催者)の6人が並びました。メディア側は中国プロレスネットニュース等4社に関係者等20人がいました。
最初に発言したのが、王彬でした。通訳なしなので、何を言っているかは私には分かりません。
その後、菅林会長が発言。「この大会に参加できることを光栄に思っています。新日本プロレスから参加する選手は精いっぱい戦いますので、上海のプロレスファンの方は楽しみにしていてください」のスピーチは、冒頭の記事の通りです。
次に、IGFを代表して宇田川氏からのスピーチがありました。「新日本プロレスの創始者はアントニオ猪木である」「この度、新日本プロレスとIGFが協力する」等のスピーチでした。
私のスピーチは、猪木が北京オリンピック終了後に「中国にプロレスを広めたい」との発言から全てが動いている。本日のこの場があるのも猪木の発言からだ、という旨の話をしました。
2008年8月 北京オリンピック
2012年7月 上海にてプロレスを開催。王彬との出会い
2016年8月 上海にて猪木道場オープン
2024年9月 記者会見
このように見ると、なんと16年の歳月が流れています。奇しくもオリンピック開催の年です。
2012年7月のプロレス開催は、ジェロム・レバンナ、エリック・ハマー、アレキサンダー・コズロフ等の海外選手らが登場しましたが、新日本プロレスや中国人選手はいませんでした。
今年の大会は、まさに猪木DNAを引き継いだ選手らが戦います。そういう意味においては、2012年7月の大会と意義が違います。
私は最後に「この会場は東京ドームと比較すると小さな会場です。しかし、彼らの夢はそれに比較できないくらい大きな夢があります」と伝えました。
私は、中国の主催者側に「会場費は全額私が負担する。間違いなく利益は出る。その利益は全て中国側が受け取ればいい。これは猪木から皆さん方へのプレゼントです」と伝えています。
記者会見をした別室から1階の大きなスクリーンに流れている猪木の映像が見えます。この場面を天国の猪木はどのように思っているのでしょうか。映像に大会タイトル「不滅の闘魂」が映されていました。
【追記】
ご承知のように、新日本プロレスで「虎ハンター」の異名を取った名レスラーの小林邦昭さんが9日に亡くなりました。「猪木三回忌法要」を終えた翌日です。私は、その日の夜に船木誠勝選手の奥様からのLINEで知りました。小林邦昭さんとは、直接話したことは少ないです。ただ、彼の思い出は、猪木の告別式の日です。遺族や私達関係者よりも早く斎場に来ていました。それが強く印象に残っています。誰よりも早く、猪木に会いたかったのでしょうか。いつも控え目な小林さんでした。ご冥福をお祈りします。天国の猪木と会って下さい。
次回、9月25日に掲載予定です。
(「天国の猪木へ」は不定期掲載です)
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