第126回  運命の10月1日

昨日の続きで2年前の出来事を再掲載します。

「9月28日の夕刻、私は猪木宅に行きました。
ここから以降は『10月10日付 第519回』に掲載されていますが、本日はもう少し当時の事について詳しく掲載したいと思います。

介護チームリーダーの江端さんから『猪木会長が本日あまり食事をされない』『今は寝ています』との事でした。私は寝室の猪木の様子を見に行きましたが、寝ているようなのでそのままリビングで介護リーダー江端さんの生い立ちなどについて話しました。江端さんは『巨人の原辰徳監督』のそっくりさんで芸能界で少し経験されています。そんなとりとめのない会話で猪木との会話もなくその日は帰りました。帰り際に江端さんに『明日は午前中仕事を終えたら大阪に戻ります。それまでは東京にいます。何かあれば連絡下さい。次回は来月初めになる』と伝えました。

翌29日に私は映画製作者を紹介してくれたS氏に『映画の発表はどうなっているのか。猪木会長が健在な時にやってほしい』と電話をしました。S氏からは『猪木の映画を制作するにあたりこの世界のプロダクション同士の何か手続き等があり、少し遅れている』との事でしたが、私はそんなことで遅れているのは本末転倒ではないかと少し苛立ちを感じました。
元々は10月中旬に発表する予定でした。昨日の猪木の状況から焦っていたのでしょう。
この日11時面談は『猪木案件』でしたが、面談時間1時間を15分に短縮。キャンセルしなかったのは猪木の重要案件での『確認』でした。内容は控えます。
後の東京本部での面談は全てキャンセルして、私は当初予定になかった白金台に向かいました。
この日、医療チームのU先生が往診に来ているとの事でした。U先生とは先日のオンライン会議で会っていますがリアルな面談はこの日が初めてです。昨日の猪木が食事をしていない事が気になり直接状況を聞く為の予定変更です。
猪木宅に行くと猪木は既に酸素吸入器を取り付けていました。U先生の話によると今週が山場であるとの事です。僅か5日前に猪木に東京ドーム『イッテンヨン』お神輿登場の話をしたばかりです。U先生は『葬儀の事も考えておくように』と冷静に話されました。私も妙に落ち着いて聞いていました。この時、U先生に『ある事』の確認をしましたが、『今回はやめておきましょう』との事でした。この事については後日話す機会があればします。啓介さんにはアメリカにいる寛子さんに連絡するようお願いしました。
本来、東京本部で面談する相手方には白金台マンション下で打合せを済ませ、すぐ猪木の部屋に戻りました。
この先は第519回(10月10日付)に掲載されているように新幹線に乗るギリギリまで猪木の右手を握っていました。猪木の部屋には『白い花の咲く頃』の歌が流れていました。
酸素吸入器をつけていた猪木は最初は目を開けていましたが、ここでは控えますが『ある会話』をした後、猪木は目をつぶりました。そのまま猪木は寝た感じなので私はそっと手を放しました。これが猪木との最後の握手です。私は品川14時07分発の新幹線に乗りました。

翌30日8時に私は大阪からU先生に電話をしました。先生の話によると昨日からは危機的状況から抜け出し、ガリガリ君を食べたいと言っているとの事でした。
ちなみに猪木が最後に食べた食べ物にガリガリ君があったという映像がYouTubeに流れていましたが、それは9月20日の撮影の時です。実際にも猪木が最期に口にしたのはガリガリ君です。

少し安堵した私は何とか10月11日まで持たないかと先生に確認しました。それは映画制作発表を猪木に聞かせたかったからです。
先生の『少し持ち直した』に対して私は『ろうそくの灯が消える手前で少し明るくなる事がありますが、そんな感じですか』と確認しました。いわゆる『中直り現象』の確認です。
その後、映画関係者を紹介してくれたS氏に電話し『危機的な状況から抜け出している。費用問わずあらゆる投薬や治療しているので早く映画発表をしてほしい』と伝えました。

10月1日。
この日の朝、私は4時に一度目が覚め、トイレに行き再び床に入りました。それから2時間程の僅かな睡眠での中で猪木の夢をみました。私は猪木が夢に出てきた事に対して余り気に留めていませんでした。

7時2分。介護リーダーの江端さんから着信履歴がありました。
7時3分にコールバックしました。江端さんは数秒の沈黙の後『猪木さんが亡くなったようです』と短い返事がありました。最初は『亡くなったようです』の言葉に違和感を感じましたが医師の死亡確認を得ていない為かなと思いました。
私は心のどこかでいつかはこのような場面がある事を覚悟し、驚く事はしませんでした。
『亡くなったようです』の事実だけを受け止め『分かりました。東京に向かいます』と伝えました。江端さんからの電話から間もなく実弟啓介さんから連絡が入り、私はアメリカにいる猪木の愛娘寛子さんに連絡をするように伝えました。その後、猪木元気工場の髙橋社長に電話をしました。髙橋社長の話によるとこの日、中部セントレア空港から札幌経由で函館に入る予定でしたが前日に、羽田経由で函館入りの予定に変更したという事です。ちょうど私が電話をした時、まさに飛行機に乗ろうしていたタラップでの電話でした。髙橋社長は『羽田到着後、函館に行かずそのまま猪木宅に向かう』となりました。私は15時に到着すると伝えました。後日、髙橋社長は『前日のフライトの変更はまさに虫の知らせという以外にはありません』との事です。

この日の私の予定は毎月朔日に幹部と共に信貴山を参拝します。『人プラ』で何度もお話ししている事です。私はすぐ東京に向かえば10時頃には猪木宅に行けますが、髙橋社長には『到着15時』と伝えました。10時も15時も事態が変わらないと判断したからです。
まずは信貴山に行って『猪木が亡くなった事』をご報告しようと思いました。
いつもなら信貴山参拝には本社を8時に出て12時近くに帰社しますが、この時は早々の引き上げました。
信貴山を下山する車中で木谷新日本プロレスオーナーに電話をしましたが不通でした。通信音から海外かなと思いました。その後、菅林新日本プロレス会長に電話をしましたがやはり不通でした。しばらくして菅林会長から電話があり、ロンドンに居て真夜中であるとの事でした。日本との時差は9時間ですので日本の朝10時はロンドンの1時です。
私が猪木が亡くなった事を最初に伝えたのは新日本プロレスです。
理由はアントニオ猪木の社会的身分はこの時点では世間には発表していませんでしたが、9月1日付で『新日本プロレス終身名誉会長』だったからです。
菅林会長も『猪木死去』に対しては冷静にその事態を受け止めていました。それから1時間程して再度連絡があり、『新日本プロレスロンドン大会のリングで10カウントをしていいか』の確認がありました。私としてはアントニオ猪木は『新日本プロレス終身名誉会長』ですので、全てお任せしますと伝えました。
下山する車中のその間、全国紙の友人記者ら数件から『猪木さんが亡くなったようだが、その確認をしたい』との連絡が入りました。私は曖昧に返答し、OSG全国拠点長会議のスピーチを短くし11時57分新大阪発の新幹線に乗りました。14時17分品川駅到着。
車中では既にネットニュースでは『猪木死去』一色です。いつもなら品川駅から白金台まで徒歩20分ほどで歩いていきましたが、この時はタクシーに飛び乗りました。
既に猪木宅のマンション下ではメディア関係者が多数いました。

10月1日14時30分。私がご遺体の猪木と面会した時間です。
最後に会った9月29日から僅か48時間後の再会でした。

猪木が眠っている部屋ではイノキボンバイエが流れています。

『猪木さん、申し訳ない』が猪木との対面の最初の気持ちでした。
猪木と話した『年内のイノキボンバイエや来年1月4日の東京ドーム。2月20日の誕生日。そして80歳最初の仕事の武藤選手の引退試合』が猪木との『生きる』約束でした。
この時、私の心は既に『猪木に生きるチカラ』という大きな目的や使命を果たせられなかった自分の力のなさに猪木にはもう訳なさでいっぱいでした。

猪木は自ら50年前に創立した新日本プロレスの『終身名誉会長』就任を確認したのを待っていたかの様な10月1日でした。

猪木さん、まだやる事や知らせたい事がいっぱいあります。
もう一度、もう一度『東京ドーム』に登場する予定でした。
猪木さんの『イノキ探し』の映画もあります!
楽しみにしていたじゃないですか!

海外ならどこに行きたいと確認したら『パラオだ』と言ったので貸切ジェット機で行こうと言ったじゃないですか!
詩集『馬鹿のひとり旅』はまだタイトルだけでこれから作って行く約束だったじゃないですか!

しかし状況は私と猪木との僅かな気持ちの交流さえ与えてくれません。
次はどうすれば稀代のスーパースター『アントニオ猪木』の葬儀告別式を執り行うのかの猪木からの要求でした。」
「人生はプラス思考で歩きましょう! 第531回:運命の10月1日(2022年12月15日掲載)」

今も蘇ります。幼子のように思われますが、2年前に戻りたいです。
正しくは、2年と1か月前に戻りたいです。もっと話しておきたかった。
1秒でも猪木の笑顔を見ておきたかった。この2年間、猪木の想いに涙した事にいい大人が、と少し照れを感じますが、今もそんな状態です。何故そうさせるのか、魅力いっぱいな不思議な猪木です。心の底から会いたくなってきました。
小さな声で「猪木さん。元気ですか」と言っています。

猪木はもういません。もういないのです。

次回、10月3日に掲載予定です。
(「天国の猪木へ」は不定期掲載です)

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