第127回  令和6年10月1日

2024年10月1日。
既にお伝えしている通り、猪木の命日である10月1日は大阪にいました。
この日は朝から、私のLINEに「本日は猪木さんの命日ですね」というメッセージが多く入っていました。佐々木健介・北斗晶夫妻は三回忌にも参列していただいたにも関わらず「おはようございます。今日はこちらの都合でお墓参りに行けません。こちらから手を合わさせていただきます」と律儀なメッセージも入っていました。
中嶋選手が最近、主戦場にしている団体の社長から「中嶋勝彦選手より、本日猪木様のお墓参りをさせていただきたい。自身のSNSにアップさせていただきたい。湯川会長にご了解をいただきたい」という主旨の相談メールがありました。
私は「中嶋選手が猪木の墓参をしてくれる事に何の了解の必要はありません」と返し「本人のSNSのアップが猪木ファンに支持されるものである事を期待します」と回答をしました。その後、本人からもLINEが入りました。
「猪木元気工場」の宇田川役員から「本日、猪木会長の三回忌命日の墓参をしてきました」と写真を添付したLINEが入りました。猪木ブロンズ像に闘魂タオルを巻いた写真や多くのお花の写真が添付されていました。前日の9月30日に私が参った時も供花がいっぱいでした。私は宇田川役員に、前日の猪木ブロンズ像の顔を思い出しながら「供花がいっぱいで猪木さんの顔も幾分ご機嫌な感じです」とメッセージを返しました。

翌日には武藤敬司の奥様からLINEが入り「先程、猪木さんのお墓参りに伺いました」と武藤敬司さんのX(旧Twitter)が添付してありました。関心のある方はXをご覧ください。読むと笑えます。実は、前日に武藤さんと電話をしていましたが、本人は一言もそんな事を言っていませんでした。以前、武藤さんに「一度ぐらい猪木会長のお墓を参ったらどうだ」と言った事がありましたので、少し照れがあったのかも分かりません。

それにしても、中々亡くなった人の命日等、他人は覚えていません。それだけに猪木の事をまだ思っていただいているファンの皆さんや関係者の皆さんに感謝の気持ちでいっぱいです。

【追記】
既報通り、私は啓介さんと命日前日にお墓参りをしました。実は2人で行ったのではなく、猪木の1つ下の妹の佳子さん、すなわち啓介さんのお姉さんと3人で行きました。佳子さんはブラジル在住で、三回忌法要に参列できなかったので命日に合わせて来日されました。
行き帰りの車中で「兄・寛至」についての話題がありました。
私が猪木を引き受ける前の闘病生活の猪木について、話になりました。当時の猪木の取り巻き連中らがいた闘病生活中は、ほとんど毎日ブラジルの妹さんに電話をしていたとの事です。ここら辺りの話は本日控えますが、いずれ時が過ぎれば私自身も話したい内容の一つです。

少し軽い話をしましょう。
猪木の兄弟は、ご承知のように9人です。猪木が7番目です。
ここからは猪木のお母さんの話として、佳子さんから聞いた話です。「寛至の名前は、7番目なのでここで終わる」という意味での命名だったらしいです。私は知りませんが、ファンの方なら知っている内容かもしれません。ところが、妹さんが産まれました。そこで「これでよし」の佳子さんになったとの事です。更にそれから数年後に啓介さんが産まれるわけです。猪木のお母さんの話によると7番目で終わる予定で命名した「寛至」。次は「これでよしの佳子」さん。
更に啓介さんが誕生するわけですが、これは「すけべえのけいすけ」が命名の由来だ、とのお母さんの話を妹さんがしたので車中は大笑い。運転をしている啓介さんも、この話は家族中でお母さんがよく言う話だから本人もニコニコしながら運転をしていました。
このような話から猪木のお母さんは、肝っ玉母さんらしくスーパーヒーロー アントニオ猪木を産んで育てた事に納得しました。こんな話をしていると天国にいる猪木と猪木のお母さんも空の上から笑っているかもしれません。

元気だった頃に猪木からこの話を聞きたかった。猪木のお母さんの話も猪木から聞きたかった。

次回、10月11日に掲載予定です。
(「天国の猪木へ」は不定期掲載です)

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