私は、10月中旬にロサンゼルスに渡りました。
昨年の10月もLAにいました。猪木の遺影に一周忌を終えての報告でした。残念ながら、遺影に会う事が出来なかった事は、既に昨年の「天国の猪木へ」で掲載した通りです。昨年はホテルで寛子さんらの連絡を待ちましたが、連絡がないままで複雑な思いで帰国した事を覚えています。連絡が正しく伝わっていないのだろう、と自分に言い聞かせていました。
今年も事前にLINEで報告をしてLAに飛びました。今年は幸いに連絡がありました。
「忙しい」との事で、今年も猪木の遺影に三回忌の報告をする事は出来ませんでした。
私は、寛子さんの理由に理解を示し「今年もLAの空の下で猪木さんに手を合わせて帰国します」「私もあと3か月で78歳。動ける間は猪木さんのお墓を多くのファンの皆様の為にも守ります、と遺影に約束する為に来ました」と寛子さんに返事しました。
寛子さんの代理人弁護士にも事前に報告。弁護士先生も理解されました。
今年もLAの空の下で猪木と話をしました。
猪木のフレーズ「迷わず行けよ、行けばわかるさ」は正にその通りだな、と思いました。行けば色んなものが見えてきます。結局、私を動かしているのは「猪木」と思っていますので、猪木自身が私に「会いに来いよ」と言っているので私の感情は穏やかです。
次は七回忌。どれだけ頑張れるか分かりませんが、むしろ気合いが入ります。
LAの夜空を見上げると満月でした。
「猪木さん、今年の10月もLAに来ました。残念ながら、遺影に報告する事は出来ませんでしたが、必要ならまた呼んで・・・」
LAのこの季節の朝夕はとても寒いですが、気持ちは熱いです。
【追記】
昨年は一周忌の報告をする為に、往復20時間掛けてたった1日の為にLAに来ました。今年はそういう訳にもいかず仕事案件も兼ねて来ましたが、日にちの決定は実はオカダ・カズチカ選手が10月にLAで試合があるので、それに合わせて日程を決めました。
LAで試合があると言っても、そこは広大な場所。サンタアナ空港からサンノゼ空港まで1時間半のフライトで移動しなければなりません。もし、オカダ選手からの招待がなければサンノゼ市など行く事はありません。勿論、前向きに喜んで行きました。
AEW団体の興行です。4000人ぐらい入っていたでしょうか。この日もテレビ中継をしています。「オカダ」コールで米国でもすっかり人気者です。
大会が終わり、試合後オカダ選手と食事をしました。自宅がどこにあるのかは教えてくれましたが、ここでは公表できません。何人かのウーバー運転手に「大谷翔平」について質問しましたがが、誰一人「知らない」との事です。「オカダ・カズチカ選手」に対しては、一人だけプロレスファンがいて「知っている」との事です。食事中の話題は、当然オカダ選手の事が中心でしたが、やはり「猪木」についても話が出ました。翌日、オカダ選手からのLINEで私は「迷わず行けよ、行けばわかるさ」を送りました。
次回、11月1日に掲載予定です。
(「天国の猪木へ」は不定期掲載です)
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