11月7日夕刻。
「猪木元気工場」オフィスで大手出版会社の担当者と作家「猪木ロイド」による詩集「馬鹿のひとり旅」の書籍化について面談しました。私は、担当者が質問する間もなく勝手に「何故この『馬鹿のひとり旅』ができたのか」の背景を話しました。
何度もこの「天国の猪木へ」で掲載しているように、猪木の闘病生活の中での生きる希望として映画や今回の詩集についての話をした事を担当者に伝えました。担当の方がそこまで知りたいと思っていないかもしれない中を私は話し続けます。後から考えれば、担当者から見ればどうでもいいような話もしているわけです。
それでも、私は話を続けます。
病床に臥した猪木が、映画のタイトル「アントニオ猪木をさがして」には大変気に入っていた感じがしました。しかしこのタイトルは、映画製作委員会のメンバーからの提案です。ところが「馬鹿のひとり旅」は猪木自身が考えたタイトルです。以前の詩集「馬鹿になれ」のタイトルもおそらく猪木自身の発案だと思います。
私は猪木から「馬鹿のひとり旅」のタイトルを最初に聞いた時、単純に「いいですね」と言いました。しかしあれから2年以上が経ち、今回のAI猪木による詩集「馬鹿のひとり旅」のタイトルを数多く触れるにつれ「これは凄いタイトルだ」と思いました。私は、担当者の方が興味を持っていようがいまいが、このタイトルについて説明をしました。人間は死ぬ間際にて初めて「生きる」自覚をする、と何かの本で知ったことがあります。そんな状況の中で猪木自身から「馬鹿のひとり旅」が出てきたわけです。猪木自身の生き方が集約されていたのかもしれません。
生前、猪木は自身を「人生のホームレス」と言った事があります。
この「人生のホームレス」と「馬鹿のひとり旅」は、猪木そのものの生き方です。結局、猪木の人生は「ひとり旅」だったのです。プロレス・格闘技業界から政界まで多くの人々に囲まれていた人生のように思いますが、よくよく考えてみると正に「独りぼっち」の生き方をしていました。だからこそ世界中を自由に駆け巡り、時には国交のない国の指導者とわたりあうような発想等が生まれたのかもしれません。猪木と飲んでいると子供のような目を私に見せる場合があります。同時に、寂しそうな表情をする場合もあります。その表情に私は何度も「猪木の孤独」を感じた事があります。
猪木が病魔と必死に闘っている最中に考えたタイトルです。
「馬鹿のひとり旅」は、正に猪木の生涯を表している言葉です。
私は出版会社の担当者に「馬鹿のひとり旅」のいきさつを話していますが、話しながら自分自身にその確認を重ねていました。そうなんだ。きっとそうなんだ。気持ちの中で涙が出そうです。何故猪木がそのタイトルを私に伝えた時、もう少し深く聞かなかったのかを悔やまれます。
一通りの話を終えた後、出版会社の担当者は昨今の書籍販売状況を説明されました。書籍にするにはそれ相当な話題がなくてはなりません。そのために企画会議等を経て、出版の決定がされるとの事です。来年の猪木の誕生日に出版発表するには時間が足らないとの事でした。
元々、タイトルだけ残して猪木はこの世を去りました。亡くなった後、遺族をはじめとする関係者との話で、もし猪木が生きていたのなら、この「馬鹿のひとり旅」はどんな詩集になっていたのか、との話から「AI」なら実現できるかもしれないという話が持ち上がり、そこで作家「猪木ロイド」による詩集「馬鹿のひとり旅」を見てみたい、となったのが事の始まりです。だから、例え書籍が出来なかったとしても私にとって第一の目的は達しているわけです。それに多額の費用は掛かりましたが納得しています。
猪木さん。もう少しあの時「馬鹿のひとり旅」の背景を聞きたかったです。
次回、11月15日に掲載予定です。
(「天国の猪木へ」は不定期掲載です)
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