前回の掲載から20日間も空きました。私の海外出張もありますが、特段「天国の猪木へ」に掲載する案件もありません。あえて掲載するなら、前々回に障害者就労支援施設の方からの猪木のAI音声のお願いに「実現すべく動くようにします」と掲載しましたが、まだ実現していません。その原因は、AI猪木による詩集「馬鹿のひとり旅」を依頼した先端技術・システム開発会社からの「期限が切れたから出来ない」との回答に戸惑うばかりです。何らかの対応はしなくてはなりません。猪木に関する案件は「展示会」等、既にネットニュースでもアップされていて、ここで掲載する事もありません。
ネットニュースでご存じの方もいると思いますが、新間寿さんが亡くなったという連絡が「ストロングスタイルプロレス」の平井代表から入りました。
猪木の誕生日2月20日の10日前に、戦友である永島勝司さんが82歳で亡くなり、4月21日に90歳で新間寿さんが亡くなったわけです。永島さんとはあまり懇意にしていませんでしたが、新間さんとは猪木と出会った時からの知り合いです。1983年、36歳の時に初めて猪木と大阪ロイヤルホテル(現リーガロイヤルホテル)で出会いました。啓介さんともその時初めての出会いになります。4日後に猪木が経営していたレストラン「アントンリブ」に招待されました。その時に初めて新間さんを紹介されました。中二階のテーブル席だったと思います。そこで、紹介早々に「3,000万程のお金を貸してほしい」と言われたのが、新間さんとの最初の会話です。
私は当然断りましたが「手形でもいい」と言われたシーンは、今でも覚えています。ご存じのように、当時猪木はブラジルにてアントン・ハイセル事業で大きな借金をしていました。新間さんからの話ではなく、たぶん猪木からの話だったのでしょう。
そう言えば、新間さんと会う時はいつも帝国ホテル内の中華料理「北京」でしたが、猪木と一緒に食べた記憶はありません。いずれにしろ、猪木と一時期は「戦友」として戦った永島さんや新間さんらは、後年猪木とあまり上手くいっていない状況でありましたが、あの世では昔話に花を咲かせてほしいと思います。
「天国の猪木さん。そういう事なので、2人を笑顔で迎えてあげて下さい。
私は猪木さんからの宿題をやり遂げるため、もう少しこの世に滞在します。
特に、中国におけるプロレス事情についてお知らせする事があります。先日中国国家体育局に表敬訪問してきました」
次回、4月30日に掲載予定です。
(「天国の猪木へ」は不定期掲載です)
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