第149回  「猪木からの宿題」

私が「猪木からの宿題」としてやり遂げていない案件の1つに「中国でプロレスを広める」事があります。何度かここでも掲載しました。2008年北京オリンピック終了後に猪木から「中国でプロレスを広める事はできないか」と打診がありました。私は、その5年前の2003年に中国に進出し、現地法人もありました。私が創業した株式会社OSGコーポレーションの製品が2008年北京オリンピックの中国国家体育局訓練局にて使用されていた関係から、中国政府との繋がりもありました。そのような関係からでしょう。ちなみに、北京オリンピック当時の中国選手は、OSGのアルカリ大型機器を飲用していました。
その関係から、猪木と何度か訪中しました。河南省にある少林寺本山にも訪れました。猪木に中国の格闘技番組「武林風」のテレビ局ディレクター等とも会わせました。上海でIGFが大会開催をしたのもその1つです。また、上海に「猪木道場」を開設したのもそれらの準備のためです。中国人初でWWEに入団した王彬選手は、猪木の中国人第1号選手です。
中国国家体育局との交流は私を窓口にしていましたが、コロナ以降から止まっていました。

先日、4月13日。私は羽田から久しぶりに北京に飛びました。中国国家体育局のエリート幹部であるA局長と面談するためです。彼は、確か大阪の大学に留学した経験があり、日本語は分かっているのですが一切使いません。超が付く多忙な局長ですが、「4月13日14時からなら面談可能」という事で会いに行きました。久し振りの面談に旧交を温めました。猪木の思いを改めて説明しました。北京オリンピックから17年を経て、私は諦めていない旨を局長に伝えました。
一口に「17年」と言っても結構長いです。生まれた赤ん坊が高校生になる程の時間です。何としても猪木の思いを実現させたい、と話しました。「中国でプロレスを根付かせる」には、中国のスター選手が必要であり、中国のスター選手を誕生させるにはオリンピック等に出場した選手が最適である事も伝えました。猪木が創業した新日本プロレスが中国・アジアに向けて今後プロレス進出する事も伝えました。
局長は「アントニオ猪木」が超スーパースターだと、中国人としては珍しく知っています。
ここでの内容は彼の立場から公開する事はできません。ここが日本と違った政治・文化であり、私は十二分に理解できます。約束の2時間弱の会議で局長と別れました。

帰る車の中で「もし猪木が生きていたならば、もっと違う展開になっただろう」と思いました。まして、政治家猪木ならば、間違いなく中国政府は「熱烈歓迎」であり、素早く実現すると思いながら、私も次のアポに向けて移動しました。これまでも17年間の年月を費やしてきたので、私が生きている限り「猪木からの宿題」を力不足と知りながら、諦めないで行動するしかありません。

猪木さん、戻って来て。


次回、5月10日に掲載予定です。
(「天国の猪木へ」は不定期掲載です)

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